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浦和地方裁判所 昭和63年(わ)782号 判決

主文

被告人を懲役四月に処する。

この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

昭和六三年一〇月一一日付起訴状記録の公訴事実について、被告人は無罪。

理由

目次〈省略〉

(罪となるべき事実)

被告人は、パキスタン人で、パキスタン政府発行の旅券を所持し、昭和六二年一二月三一日、千葉県成田市三里塚字御料牧馬一番地の一新東京国際空港に上陸して本邦に在留しているものであるが、同旅券に記載された在留期間は、同六三年一月一五日までであったのに同日までに出国せず、同年九月九日まで埼玉県三郷市谷口九〇一番地等に居住し、もって、旅券に記載された在留期間を経過して本邦に残留したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(不法残留罪の始期について)

被告人は、当公判廷において、「昭和六二年一二月三一日に来日した当初は、自分の在留期間が法律により限定されており、期間を経過すると不法残留になるとは知らなかった。来日後、二、三か月経ったころ、パキスタン人の友人から話を聞いて、初めて自分が不法に残留しているという事実がわかった。」と供述する。

しかし、当裁判所は、被告人に対し、残留期間を経過した時点から直ちに出入国管理及び難民認定法七〇条五号の罪(以下、「不法残留の罪」という。)が成立すると認めたので、以下、検討の結果を示しておくこととする。

取調べ済みのパスポート(写し)によると、被告人は、新東京国際空港に上陸した際、係官からパスポートに「上陸許可 31.DEC.1987 Status; 4-1-4 Duration 15days NARITA(N) 入国審査官 日本国」とのスタンプを押されたことが認められ、右スタンプが被告人の在留資格を一五日間と限定する意味を有することは、客観的に明らかなところである。すなわち、「Status; 4-1-4 」という記載は、被告人の在留資格が、平成元年法律第七九号(出入国管理及び難民認定法の一部を改正する法律)による改正前の出入国管理及び難民認定法(以下、「旧法」という。)四条一項四号に該当し、その在留期間は、旧法施行規則三条二号により、九〇日を越えない範囲内で法務大臣が指定する期間とされており、実際には、「法務大臣の指定する在留期間について(昭和五六年法管総一五一五一号)」という通達により、九〇日、六〇日、三〇日、一五日の中から、入国管理局長が指示することにより決定されているところ、被告人に対しては、入国審査官による審査の結果、「4-1-4 」という在留資格により、一五日間に限り在留を許可する旨の行政処分がなされたことが明らかであり、右行政処分は、処分内容の明示性において若干の問題はあるにせよ、これを無効ということはできない。ところで、前掲各証拠によれば、〈1〉被告人は、パキスタン回教共和国生まれのパキスタン人であり、昭和六二年一二月三一日、同国人の親戚であるAと友人のBとともに、就労の目的で初めて日本にやってきたものであること、〈2〉被告人は、ウルドゥ語を生活言語としており、日本語や英語に関しては、読んだり話したりすることが全くできず、子供のときに大病をしたことなどから、義務教育すら満足に受けていないため、その知的レベルはかなり低いこと、〈3〉今回来日するにあたり、被告人は、渡航手続の大部分を、何度か来日した経験のある親戚のAに代行してもらったり、手助けを受けたりしており、自分一人で手続をとったものでないことが認められる。以上の事実を前提として考察すると、自国における義務教育すら満足に受けていない被告人が、日本の出入国の管理に関する法律(「出入国管理及び難民認定法」)及び日本に上陸する際の具体的手続の内容を知っていたとは考えられず、新東京国際空港に上陸するにあたって入国審査官によって告知された内容が前記のとおりであったとすると、英語も日本語も読めない被告人が、右スタンプの内容を理解できなかったということは十分あり得ることと考えられ、来日後二、三か月して友人から話を聞くまでは、自分が不法に残留しているとは知らなかったとの被告人の公判廷における供述は基本的に信用することができる。しかしながら、現在、外国人の入国・在留を全く自由に認めている独立国家が地球上に存在するとは考えられず、いやしくも外国へ入国しようとする以上、当該外国の定める入国資格や在留期間等についての規制に服さなければならないということ自体は、世界中の常識であると考えてよいから、いかに教育程度の低い被告人であっても、この程度のことすら理解していなかったとは考えられないところ、被告人は、〈1〉パキスタンの家族に送金するため当初から長期間滞在して就労する目的で来日したものである上、〈2〉現に不法残留の事実を明白に自覚するようになってからも出国しようとせず、警察の目を避けるようにしながら就労を続けてきたことなどからすると、被告人は、入国にあたり、そもそも我が国の定める入国の規制に従う意図がなく、適法な在留期間の認識如何にかかわりなく当初から在留期間を越えて本邦に残留する意図であった(すなわち、適法な在留期間を超過して日本に滞在しようという意図があった)と推認せざるを得ない。以上のような事実関係のもとにおいては、前記のとおり、被告人が入国審査官による行政処分の内容を具体的に認識し得なかったとしても、当該行政処分による適法な在留期間を越えた時点から、不法残留罪が成立すると認めるのが相当である。

なお、右の点に関しては、「入国当初から在留期間が限られていることを知りながら不法に残留した」との内容の被告人の自白調書が存在するが、当裁判所は、右自白調書は、その任意性に疑いがあるなどの理由により証拠能力がないとの判断に達したものであるから、これを有罪認定のための証拠として用いることはできない。右自白調書の証拠能力に関する当裁判所の見解の詳細は、現住建造物等放火の公訴事実に関する一部無罪の理由の説示中において、一括して示すこととする。

(法令の適用)

被告人の判示所為は、平成元年法律第七九号(出入国管理及び難民認定法の一部を改正する法律)附則一二項により同法による改正前の出入国管理及び難民認定法七〇条五号に該当するところ、所定刑中懲役刑を選択し、本件不法残留の動機、不法残留期間等のほか、被告人が、不当に別件の放火の嫌疑を受けて長期間身柄を拘束され、悪化した健康状態のもとで取調べを受けたこと、右放火の嫌疑を受けなければ不法残留の事実について逮捕・勾留の上起訴されることもなく、二年以上にもわたって身柄拘束のまま公判審理を受けることもなかったと思われることなどの諸点をも考慮に容れて、その刑期の範囲内で被告人を懲役四月に処した上、情状により刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予することとし、訴訟費用については、刑事訴訟法一八一条一項但書によりこれを被告人に負担させないこととする。

(公訴権濫用の主張について)

弁護人は、本件不法残留の事実に関する公訴提起は、〈1〉東京都内などにおいては、外国人に対し、不法残留罪のみでは刑事手続は発動されず、行政処分(退去強制手続)しかされないのと比較して不平等であり、〈2〉警察が、被告人を本件放火の犯人として警察に突き出したCらを不法残留罪で逮捕せず、別件の放火の自白の獲得を目的として被告人のみを逮捕したのも不平等であり、〈3〉被告人に対する残留期間の告知が被告人に理解し得ないような欠陥のある方法でなされていること等を考えると、公訴権を濫用してなされたというべきであるから、棄却されるべきである旨主張する。

しかしながら、現行刑事訴訟法の解釈として、検察官の公訴提起に関する裁量権の逸脱が公訴提起を無効ならしめるのは、例えば公訴の提起自体が職務犯罪を構成するような極限的な場合に限られると解されているのであって(最一決昭和五五・一二・一七刑集三四・七・六七二)、右見解を前提とする限り、弁護人主張のような理由によって、本件公訴を公訴権を濫用したものとして棄却することは許されず、これらの事情は、量刑の事情として考慮するに止めざるを得ない。従って、右弁護人の主張は、これを採用しない。

(一部無罪の理由)

第一公訴事実及び争点の概要等

一  公訴事実

昭和六三年一〇月一一日付起訴状記載の公訴事実は、「被告人は、Cらが現に住居に使用する埼玉県三郷市戸ケ崎二丁目七九三番地所在の木造スレート葺平屋建共同住宅(床面積約三七・四五平方メートル)を焼燬しようと企て、昭和六三年九月七日午後二時過ぎころ、右共同住宅内C方四・五畳間に置いてあった布製毛布カバーに約五〇ミリリットルのアフターシェーブローションを撒いた上、これにマッチで点火して放火し、同室板壁等に燃え移らせ、よって、前記Cらが現に住居に使用する共同住宅を焼燬したものである。」というのである。

二  争点の概要

当公判廷において取り調べた証拠によると、公訴事実記載の日時ころ、Cらが現に住居として使用している公訴事実記載の木造スレート葺平屋建共同住宅(床面積約三七・四五平方メートル)が火災により焼失したことが明らかである。ところで、検察官は、右は被告人の放火によるものであると主張するのに対し、被告人は、公判廷において、一貫してこれを否認し、火災が発生したとされるころ、自分は、東京都葛飾区金町付近にいたものであり、全く身に覚えのないことである旨供述し、弁護人も、被告人は本件火災とは一切かかわりなく、無罪であると主張している。

このように、本件は、被告人と犯行との結びつきが深刻に争われている事案であるが、被告人と犯行とを結びつける客観的証拠が極めて乏しく、右結びつきを立証するためのほとんど唯一の証拠である被告人の捜査段階における供述調書(主として自白調書)については、その証拠能力及び信用性が激しく争われている。

三  本件の特殊性

本件においては、右のとおり、被告人と犯行を結びつけるほとんど唯一の証拠である被告人の自白調書の証拠能力及びその信用性如何が、最大の争点であるわけであるが、被告人がウルドゥ語を生活言語とし、日本語も英語も理解しないパキスタン人であるという点で、通常の事件とは異なる顕著な特殊性を有するといわなければならない。

まず、第一に、このような外国人の我が国の法律制度に関する無知の問題がある。すなわち、被告人のように、文化的背景はもとより社会組織・法律制度等も全く異なる外国から来日して間がない外国人は、一般に我が国の法律制度に関する知識に乏しいのが通常であるが、特に被告人のように、知的レベルも教育程度もともに低く、しかも、母国語以外の言語を理解せず同国人以外の者との意思疎通の困難な者は、我が国の法律制度に関する知識が全くないに等しいと考えざるを得ないのであって、このような被疑者は、一旦犯罪の嫌疑を受けて身柄拘束を受けた場合には、今後自分がどのような手続に乗せられることになるのか見当がつかず、看守や同房者等からの知識も入り込む余地がないため、孤立無援で甚だしく心細い心理状態に陥ることが容易に予測される。第二に、捜査官と被疑者の間の言葉の障壁の問題がある。そもそも、日本語を理解しない外国人に対する取調べは、通訳人を介して行う以外に方法がなく、その点だけからみても捜査官と被疑者の間の意思疎通に円滑を欠く事態の生ずることは避けられないことである。また、ウルドゥ語については、適当な通訳人を確保することが極めて困難な現状であるため、通訳人としての能力や素養の十分でない民間人を使用して手続を進めざるを得ず、通訳人の不当な言動が後刻問題とされたりすることも容易に予測し得ることである。

このような諸般の制約のもとにおいて捜査を進めざるを得ない捜査当局としては、かかる被疑者に対し、最小限度、日本国憲法及び刑事訴訟法の保障する被疑者の諸権利(黙秘権、弁護人選任権)の告知を十全に行い、被疑者による右権利の行使を実質的に保障する責務があることは当然というべきであるが、更に、前記のように、能力・素養の十分でない通訳人に対しては、通訳人としての責務(客観的な第三者として、被疑者及び捜査官の発言を忠実に通訳すること)について注意を促して、これを自覚させ、また、少なくとも供述調書の読み聞けの段階については、これを録音テープに収めるなどして、後日の紛争に備えるくらいの対策が要求されて然るべきであろう。

しかるに、本件においては、このような点に関する捜査官側の配慮は甚だ不十分(というより、全くなかったといってもよいくらい)であって、黙秘権や弁護人選任権が被告人に理解し得るような形で告知されたとは到底認められない。また、捜査官が通訳人に対する注意喚起の挙に出るどころか、逆に被害者や一部の通訳人を利用して、その影響力のもとに被告人に自白させた疑いすらあって、このような点からも、手続の適正に重大な疑問が生じている(これらの点については、自白の任意性の項において、詳細に検討することとする。)。

第二基本的事実関係

以下の各事実は、関係証拠上極めて明らかなところであって、これらの点については、検察官及び弁護人とも、これを争っていない。

一  火災の発生

昭和六三年九月七日午後二時過ぎころ、埼玉県三郷市戸ケ崎二丁目七九三番地所在のC(以下、「C」という。)らが現に住居として使用している木造スレート葺平屋建共同住宅(床面積約三七・四五平方メートル)のC方から出火して、同共同住宅が全焼した。

二  被害者方の構造

右共同住宅は、木造平屋建スレート瓦葺二軒長屋で、東側は増田豊の、西側はCの各住居として使用されていた。各住居への出入り口は、南側の玄関と、北側の勝手場出入り口ドアの二か所だけである。西側のCの居住部分の間取りは、南側の玄関を入ると、三畳間があり、右三畳間の西側が押入れ付きの四畳半間、同じく北側が勝手場、その西側が便所となっていた。東側の増田豊の居住部分の間取りは、C方と東西に対称である。

C方の玄関は、間口一間、奥行き半間で、出入り口は二本引き木製ガラス戸になっている。玄関に続く三畳間には、小物入れ、冷蔵庫、石油ストーブが置かれていた。西側にある四畳半間の北側には、間口一間、奥行き半間の押入れがある。押入れは、上下二段となっており、下段の向かって左側には整理箪笥、右側には布団が、また、上段の向かって右側には整理箪笥、左側には布団がそれぞれ入っていた。勝手場の北側には、ドア形式の勝手口があり、その横には、流し台があった。

三  本件火災発生までの経緯

被告人は、昭和六二年一二月三一日、B(以下、「B」という。)及び親戚のA(以下、「A」という。)とともに、就労の目的で成田に入国した。被告人は、先に来日していた友人のD方(東京都江戸川区小岩所在)に居候しながら、埼玉県三郷市戸ケ崎所在の株式会社中央総業(以下、「中央総業」という。)に一〇日間程勤務したが、病気になり、本件建物の先代の居住者であるEの世話になりながら、近くの病院に約二か月通院した。

その後、被告人は、昭和六三年四月から六月までは、埼玉県越谷市所在の吉村繊維株式会社で働き、同年六月から八月三〇日までは三郷市谷中所在の有限会社乙川化工所(以下、「乙川化工所」という。)に勤務し、同化工所への勤務期間中は、同社が社員寮として借りているアパートに、一緒に来日したAとともに居住していた。

被告人は、同年八月末、乙川本化工所が外国人労働者の使用について埼玉県吉川警察署(以下、「吉川警察署」という。)から注意を受けたことから同社を解雇され、社員寮を追い出されてしまったため、同年九月二日ころからは、Aの口ききで、かねてから面識のあった前記C方に居候し、時々同国人の友人の紹介で日雇いのアルバイトをするなどしていたが、やはりそのころ、しばしばC方に泊まるようになったBとも右C方で顔を合わせるようになり、九月六日夜は、B、Cとともに同人方四畳半間に泊まった。

翌九月七日、Cは、午前七時四〇分ころ、一人で出勤したが、仕事のない被告人と仕事が休みのBは、午前九時か九時半ころ起床し、お湯を沸かして紅茶を飲むなどした。午前一〇時ころ、被告人は、一人で外出し、正午少し前に、ビニール製のショッピングバッグを持って帰宅したが、その際、Bは、被告人の出発時と同様、室内で手紙を書いており、その後二人で洗濯をし、午後一時過ぎころ、被告人は、デートの約束をしているというBとともに外出することとして、勝手口から外へ出た。ところが、出発後間もなく、Bが女友達へのプレゼントを入れる封筒を忘れてきたと言い出したため、二人で一旦家まで戻り、勝手口の鍵を開けたBに促されて、被告人が家に上がり、前記四畳半間から封筒を持ち出してBに渡した。その後被告人は、再び勝手口の鍵を閉めたBとともに近くの小学校(三郷市立前谷小学校)の門の前あたりまで行ったが、午後一時三五分ころ同所で同人と別れ、そのまま北上する同人とは逆方向に歩いていった。被告人と別れたBは、遠回りをして、女友達との待ち合わせ場所であるレストラン「ジョナサン」に、午後一時四〇分ころ到着し、ビールなどを注文して、連れを待っていたところ、午後二時半過ぎころ、遅れてやってきた右女性の話により、C方が火事になったことを知った。なお、被告人は、Bと別れたあと、前記のとおり、東京都葛飾区金町方面に行ったと供述していいるが、取り調べた証拠の中には、その間の被告人の行動を確認させるものは見当らない。

四  略語等

以下の叙述においては、本文中に断るほか、次のような略語を使うことがある。

1 被告人、証人の各供述については、公判廷における供述と公判調整中の供述部分を区別することなく、例えば、「被告人の供述」又は「Cの証言(又は供述)」というように表示する。

2 書証については、以下の略語を用いることとし、作成日付を明記しなければならない場合であっても、昭和六三年作成のものについては年数の表示を省略する。

検察官に対する供述調書   検面

司法警察員に対する供述調書 員面

弁解録取書         弁録

3 被告人の供述調書については、例えば昭和六三年九月一八日付調書を「被告人9・18員面」と記載する。

4 昭和六三年中の事実については、年数の表示を省略することがある。

第三本件の基本的証拠構造

一  情況証拠

取調べた全ての証拠のうち、被告人と犯行を直接結びつけるものは、被告人の捜査段階における供述調書(9・13員面〔五枚綴り〕、9・18員面、9・21員面、9・27員面、9・19検面〔二枚綴り〕、9・30検面、10・7検面二通、9・21、9・22各弁録)及びほぼこれと性質を同じくする実況見分調書(10・3付及び10・5付)中の被告人の指示説明部分(以下、これらを一括して「自白」又は「自白調書」ということがある。)だけであるが、検察官は、右自白の信用性を客観的に支えるものとして、〈1〉「犯行に接着する時点において、犯行現場付近で、被告人を見かけた。」という内容の甲野春子の供述、〈2〉本件火災はその出火状況等からみて、C方に侵入した何者かの放火によるものとしか考えられず、また、右住宅の構造、状況等からして犯人は建物内部の事情に詳しい者と考えられるところ、当時右建物に宿泊していた被害者のC及び前記Bには完全アリバイが成立するのに対し、被告人にはアリバイがないこと、〈3〉被告人は、本件当時無職で、C方に居候する身であったが、Cから受ける待遇に不満を感じており、放火の動機があることなどを挙げている。

二  自白

前記のとおり、本件においては、本件火災と被告人とを直接結びつける証拠として自白調書が存在するが、右については、弁護人により、その証拠能力及び信用性が強く争われている。当裁判所は、右自白調書の証拠能力について、検察官及び弁護人の双方から詳細な意見の陳述を求めたが、その証拠能力に関する結論は、本件の実体に関する証拠の信用性の判断とも微妙に関連するので、公判審理の中途において最終的な判断を示すのは適当でないと考えるに至り、第一九回及び第二四回各公判期日において、「最終的な判断は、判決中に示す」という留保のもとに、一応の証拠決定をして、その取調べを行った。自白調書の証拠能力に関する当裁判所の判断は、のちに詳述するとおりである。

第四証拠判断の前提となる事実関係の確定

一  緒説

被告人と犯人との同一性を肯定し得るためには、まずもって、〈1〉本件火災が何人かの放火によるものであること(逆にいえば、失火又は自然発火によることの合理的な疑いがないこと)、〈2〉被告人が検察官の主張するような方法で放火を実行することが客観的に可能であったことが証拠により肯定されることが必要である。そこで、以下、個別的な証拠の検討に先立ち、まず、右二点に関する問題点をみておくこととする。

二  本件火災の原因(放火か失火か)

本件建物の出火原因について、検察官は、本件建物の出火の原因は、放火以外には考えられないと主張するのに対し、弁護人は、煙草の火の不始末などの失火の可能性は否定できないと主張している。

まず、岡庭年経の供述及び富沢透作成の「火災原因判定書」と題する書面を総合すると、本件火災の火元はC方であり、その焼燬状況からみて、C方四畳半間が出火場所と認められる。

ところで、弁護人は、九月七日午後一時半ころ被告人らがC方を出発するまでの間、Bが四畳半間において煙草を吸っていた事実が認められること、Bが煙草の火を消したという水の入った灰皿は、火災現場からみつかった形跡がないことから考察すると、出火の原因が、Bの煙草の火の不始末であった可能性は否定できないと主張している。しかし、前認定のとおり、被告人は、当日一旦C方を出たあと、Bの忘れものを取りにC方室内に立ち戻り、出火場所とみられる四畳半間まで上がっていることが明らかであるが、被告人は、その際何らの異常も感じていないというのである。本件火災は、被告人が一旦C方に立ち戻ってから、わずか約三〇分後に発生しているのであるから、もし、火災原因がBの煙草の火の不始末であるとすれば、右の段階で被告人が何らの異常に気づかなかったということは、理解し難い。従って、本件火災の原因として煙草の火の不始末などということは、まず考えられないというべきであり、出火地点が、火の気のないところであること、電気系統等の異常は一切認められないこと、火の回りが比較的早かったと認められること等を総合すると、本件火災の原因は、何者かによる放火とみてほぼ間違いないものと考えられる。

三  C方の戸締りの状況(被告人の侵入の可否)

検察官の冒頭陳述によれば、被告人は、C方玄関から屋内に侵入し、出火場所とみられる四畳半間まで至って放火したとされている。そして、C方の他の一つの出入口である勝手口は、火災直後の実況見分の際施錠されていたことが確認されているから、C方の鍵を全く持っていなかった被告人が、検察官主張のような方法でC方に放火したのであるとすれば、玄関以外に侵入口はないことになるが、右玄関の施錠の状況については、証拠上問題が残されている。

まず、司法警察員作成の9・12付実況見分調書によると、C方の玄関は、二枚引き戸になっており、向かって右側の戸の下部は敷居に釘で固定されており動かないこと、左側の戸は開閉可能であるが、玄関戸の向かって左端につけられたつり針様の金属を、玄関柱に取りつけられたU字型の金属にさし込むことにより一応の施錠が可能となる補助鍵が装着されていたことが認められる。ところで、検察官は、本件火災の消火のため、消防士らが右玄関を開放して屋内に入ったにもかかわらず、補助鍵の金属部分に変形の跡がみられないことからすると右補助鍵は、消防士らが到着した段階では施錠されていなかったものであるとし、このことは、被告人が右玄関から侵入することが可能であり、現に侵入したことの証左であると主張している。右検察官の主張は、C方玄関に、右補助鍵以外の施錠がなかったことを前提とする限り、一応もっともなものである。しかし、関係証拠を検討すると、右玄関引き戸には、右補助鍵以外の本格的な施錠がなされていて、外部からは、これを破壊することなしに侵入することが不可能だったのではないかという合理的な疑問が残されている。すなわち、まず、出火直後に本件現場に侵入した消防官宮田隆男からの報告を受けて、高橋五郎が作成した「出火出場時における見分調書作成について」と題する書面(以下、「高橋報告書」という。)には、玄関は施錠してあり進入の際破壊との記載があり、また、前記実況見分調書三項(2) には、立会人Cの右玄関引き戸中央鍵穴部分に関する指示説明として、「鍵は締めておいた」旨の記載がある。そして、前記実況見分調書添付写真7、8には、玄関右側引き戸の中央鍵穴部分の戸柱がポッキリと折れた状況が撮影されており、右状況は、あたかも二枚引き戸が、その中央鍵穴にねじ込まれた鍵により連結されていたところ、外部から強い力が加わって無理に開放された状況と考えて矛盾はなく、前記高橋報告書の記載及び実況見分調書中のCの指示説明部分とよく符号している(なお、検察官は、論告中において、右戸柱の差し込み鍵は、「当時すでに壊れていた」旨主張するが、右主張を支持するに足りる証拠は全く存在しない。)。もっとも、弁護人により右の点を指摘されたのち、検察官は、本件建物内に最初に進入したという消防官宮田隆男を証人として申請し、同人から、「二枚引き戸の右側の戸を開けようとしたが、開かないため施錠してあると考え、左の戸については、施錠を確認しないまま蹴破って入ったものである。」旨の証言を得ているが、右証言は、前記高橋報告書の記載と矛盾すると考えられるのみならず、咄嗟のこととはいえ、同人が、その前にコンクリート製のたたきがあって誰でも出入口と考えそうな玄関左側の引き戸(ちなみに、日本家屋の玄関引き戸は、左側の引き戸を左から右に引いて開けるものが大部分であり、右から左に引いて開くものは、極めて稀にしか存在しない。)を開けようとせず、わざわざたたきのない右側の引き戸だけを開けようとし、それが開かないとみるや、直ちに双方に施錠ありと考えて、これを破壊したという点にも不自然さが残り、右証言を全面的に信用するのは危険である。そうすると、C方玄関引き戸は、中央鍵穴にねじ込まれた鍵により強固に施錠されていたのではないかという疑問は依然として解明されていないというべきであり、従ってまた、そもそもC方の鍵を一切持っていなかった被告人が、C方屋内に侵入して放火したという検察官の主張を肯認し得るか否かについても、重大な疑問が残るといわなければならない。

第五情況証拠の検討

一  緒説

検察官援用の甲野春子の供述が信用できるものであるとすると、被告人は、本件家屋からの出火直後に、火災現場付近を歩いていたということになり、右は、被告人のアリバイ供述と矛盾し、被告人が放火を実行し得る立場にあったことを示すという意味において、被告人と犯行との結びつきの立証上意味のあるものとなる(なお、被告人の自白調書の証拠能力が肯定された場合には、その信用性を担保にする重要な証拠となろう。)。従って、甲野春子の供述は、他に被告人と犯行との結びつきの立証上意味のある客観的証拠がほとんど見当たらない本件においては、自白調書に次いで重要な地位を占めるものである。

二  甲野春子の目撃供述について

1 甲野春子の目撃供述の内容

本件放火現場の近隣に住む当時三七歳の主婦甲野春子(以下、「甲野」という。)は、その目撃状況について、概ね次のように供述している。すなわち、「九月七日午後二時一五分過ぎころ、家に帰る母を見送るために、一緒に家を出て、自転車を押しながら、県道沿いにある『天神前』というバス停留所に向かい歩いていたところ、三郷市戸ケ崎二丁目七九三番地所在の甲野一郎方の前の路上にさしかかったあたりで、後方に人の気配がしたので振り向くと、五、六メートル後方を歩いてくる外国人男性の姿を見かけた。また、その後南方に約七二メートル進んだ同所四丁目一〇七番地所在中村勝治方前路上において、再び後方を振り返ると、その男は自分達についてきていた。同所四丁目八八番地大川方西方約四二メートル先路上にさしかかったところで、前谷小学校の方から煙が上がっているのが見えたが、また家具屋が何かを燃やしているのだろうと思い、特に気に留めなかった。同所四丁目八八番地大川方先路上付近で、後方から歩いてきていた男に追い抜かれたのでその際も男の横顔を見た。それからしばらく行ったところで、消防団の人が出動の用意をしているのでふと心配になり、どこで火事かと尋ねたところ、家の方だったので、その場で母とは別れて家に戻ったが、男は、バス停の方に行くようだった。」、「男は、スーパーなどでよくくれる白いビニール袋を手に持っており、それまで全く面識はなかったものの、肌は浅黒く、鼻筋の通った整った顔をしており、被告人であることに間違いない。」というものである。

2 甲野の識別の正確性について

ところで、右甲野の供述のうち、外国人の男性を目撃した状況に関する部分は、本件放火の直後で比較的記憶が鮮明と思われる九月一〇日の取調べ以来ほぼ一貫していること、九月七日当日の午後一時三五分過ぎころ、被告人は、Bとともに、C方を出た際に、スーパー等でくれる白いビニール袋を持って出たことを認めており、右被告人の認める所持品は、甲野の目撃した外国人のそれと類似していること、本件放火の現場近くに住んでいたというだけで、事件とは特別利害関係のない一介の主婦である甲野には、敢えて虚偽の供述をしてまで被告人を犯人に仕立てなければならないような動機は存在しないことなどからすると、右甲野の供述は、被目撃人物と被告人との同一性の識別に関する部分を含め、一見高度の信用性を有するように考えられないではない。しかし、人物の同一性に関する目撃者の供述については、人が自分とは面識がない人物を観察して、その人相や身体的特徴等を正確に記憶することは難しく、常に比較対照という作業が伴うため、わずかな暗示によっても誤った識別が行われる危険性が高いことはかねて指摘されてきているところである。そこで、右の点に鑑み、甲野の供述内容及び供述経過を更に仔細に検討すると、甲野の供述には、次のような看過し難い問題点が存在し、目撃した人物と被告人との同一性に関する部分の証明力は、高くないものと考えられる。

3 識別の対象が外国人であること

まず、問題点の第一として、甲野が目撃し識別の対象とした人物が外国人であり、本件は、同一人種間より同一性の識別が困難で誤りが多いとされる異人種間の人物識別が問題とされている事案であるということである。もっとも、甲野は、「最近、自分の家の周りに、沢山の外国人の労働者が住むようになり、よく外国人を見かけるようになった。前にインドから来た人が近くに住んでいたが、その人からみたらインド人でないし、ああいう感じの人はパキスタン人じゃないかと思っていた。」旨供述しており(甲野速記録一二丁、一三丁)、異人種の人物をかなり見慣れている様子が窺えるが、それにしても目撃対象が異人種の人物である以上、その識別が正確であるか否かは、慎重に検討されなければならない。そこで、更に、甲野の供述内容を検討してみると、甲野は、自己が目撃した男性の特徴として、〈1〉背の高さは、すごく高いという程ではない、〈2〉太ってはおらず、顔は細い方である、〈3〉肌の色は、日本人よりちょと浅黒く、〈4〉髪は、少しウェーブしたような形で、〈5〉鼻筋が通って、整った顔をしていたなどの点を挙げており、右の特徴は、本件放火があった当時の被告人の容姿と矛盾はしない。しかし、甲野の挙げる右のような特徴は、格別顕著なものではないのであって、この程度の特徴を備えた人物は、アジア系の外国人の中には多数存在すると認められ、甲野の供述からは、同人において、その目撃した人物が被告人であって他の第三者ではないと断定するに足りるだけの個人的特徴をほとんど把握していなかったことが窺われる(なお、検察官は、甲野の見た外国人の所持品と被告人のそれが一致していることを、甲野の識別が正しいことの証左であるとしているが、いま少し個性のあるものであれば格別、スーパーでくれるビニール袋というごくありきたりな所持品の点で共通点があるからといって、甲野の識別供述の正確性が保証されるということにはならない。)。そして、右甲野の供述のほか、乙川一郎及び丙谷二郎の各供述を総合すると、本件放火のあった三郷市戸ケ崎周辺には、近年になって、パキスタン人等のアジア系の外国人労働者が比較的多数居住している事実が明らかである。以上のような状況のもとにおいては、甲野による人物の識別供述の正確性は、それが異人種間の識別供述であるという点だけからみても、その正確性に疑問の生ずる余地があるといわなければならない。

4 目撃の状況及び目撃条件

甲野の供述及び司法警察員作成の9・11付実況見分調書によれば、甲野は、当日外国人を合計三回目撃したことになるが、最初の二回は歩きながら後方を振り返って見たものであり、一回目のときの目撃距離は約五・七メートル、二回目のときのそれは約四・五メートルであって、更に、三回目のときは、後方から外国人に追い越された際にその横顔を見たものであるとされている。すなわち、甲野は、その外国人の姿を歩行中振り返りながら正面から、或いは追い越されざまに側方から、いずれも一瞬といってよい程の短時間一瞥したに過ぎず、その目撃条件は余り良好ではなかったというべきであろう。また、既に説示したところから明らかなように、甲野は、外国人がごく自然に歩いているところを何気なく見ただけであって、本件火災その他の特別な出来事と結びつけて注意深く観察したわけではないのであるから(ちなみに、甲野は、外国人を目撃した時点においては、本件火災の発生に気がついていない。)、かような状況下で目撃した、その付近ではさして珍しくもない外国人の姿について、後刻人物の同一性を具体的に識別することができる程度に、特徴を把握し記憶し得たのかは、甚だ疑問であるといわなければならず、右の疑問は、同人の視力が〇・六に過ぎず、しかも、当時眼鏡もかけていなかったという事実(甲野速記録一五丁)に照らすと、いっそう顕著なものになるというべきであろう。

5 面割り過程の問題点

甲野の供述及び司法警察員作成の「放火事件捜査について」と題する書面を総合すれば、甲野が、捜査官に対し、本件放火の直後に現場付近で被告人を見かけた旨供述するに至った経過の概要は、およそ次のとおりであったと認められる。本件の捜査にあたった吉川警察署の警察官は、九月九日午後一〇時二七分、本件放火の被害者Cらが、放火の犯人として突き出してきた被告人から通訳を介して事情を聴取したが、放火の事実について逮捕するだけの資料を収集するに至らなかったので、右事実につき、後日本格的な取調べを行うことを前提として、とりあえず、嫌疑の明白な出入国管理及び難民認定法違反(不法残留)の容疑で被告人を現行犯逮捕した。そして、同署の警察官は、翌一〇日、通訳人を介して、Cから事情を聴取したり、現場付近の聞き込み捜査により、前記甲野から、本件火災直後ころ、現場付近で外国人を見かけたとの有力情報を得たりしたことから、被告人に対する放火の嫌疑をますます深め、同日夕方、甲野を呼び出して、被告人の写真を何枚か提示したが、自信のある返答は得られなかったため、引き続き、透視鏡による面通しを行ったところ、同人は、室内に一人でいる被告人を見て、「あの時の外人さんに、ほぼ間違いありません。」旨供述するに至った。以上のとおりである。

本件写真面割りについては、用いられた写真が何枚であったのかなどについては何らの報告書も作成されておらず、面割りにかかわった捜査官の記憶も不鮮明であるため、詳細は不明であるが、甲野は、複数の人物の写真を同時に提示されてその中から目撃した人物に似ているものを選ばされたのではなく、被告人の写真ばかり多数(真正面から写したもの、横から写したもの、全身を写したもの、白黒で撮影したもの、カラーで撮影したものなど)を示された可能性が高く(中村速記録一三丁、一四丁)、右写真面割りの過程で強い暗示が働いたことは十分考えられる上、面通しの方法も、信用性に問題の多い単独面接であった点に十分注意しなければならない。このように、本件面割りの過程においては、被告人の身柄を確保していた捜査官の側に、甲野の見た外国人は被告人に違いあるまいとの強い予断が働いており、このような捜査官の気持は、前記一連の面割り手続を通じて甲野にも敏感に察知されたと認められるのであって、このような状況のもとにおいては、識別者が意識すると否とにかかわらず、現に警察に捕まっている外国人が自分の見た男で、放火の犯人に間違いない旨、さしたる根拠なしに思い込む危険性が大きいと認められる。従って、本件面割り過程の問題点は、甲野の人物識別供述の信用性を大きく減殺するものであるといわなければならない。

6 甲野の目撃した男性の動静に関する問題点

最後に、甲野による人物の同一性識別供述は、その際同人が目撃した人物が、C方に放火した犯人であるという仮説と結びついて初めて意味のあるものとなる筈であるが、甲野供述に現れた被目撃人物の行動は、その直前に放火という重大な犯罪を実行して逃走中の人物のそれとしては、余りにも不自然であることが指摘されなければならない。すなわち、甲野の供述及び9・11実況見分調書によれば、甲野の目撃した外国人男性は、甲野と六四歳になるその実母がゆっくり歩いて行くその五、六メートル後方を、約四三〇メートルもの間ほぼ同じ歩調で追従してきたものと認められ、その行動からは、あわてたり先を急いだりする様子は感ぜられないのであるが、このような行動は、その直前に本件放火を実行した犯人のそれとしては、余りにも不自然で常識に反するといわなければならない。いかに、放火の現場を見られているわけでないにしても、ほんの数分前に放火を実行し、いつ炎が燃え上がるともわからないことを認識している人間が、犯行現場から出てきたところで、たちまち人に目撃されながら、直ちに身を隠すでもなく、その後方を数百メートルにもわたって追従して歩いたというような想定は、常識に反するといわざるを得ないのであって、むしろ、甲野の目撃した外国人は、本件放火とは無関係の人物であったのではないかと考える方が合理的である。そして、もし、右推定が正しいとすると、甲野による人物の同一性識別供述は、犯行と被告人との結びつきの認定上、何らの意味を有しないことになる。

7 甲野の識別供述に関する結論

以上のとおり、甲野の識別供述については、仔細に検討すると、種々の問題点があって、これが犯行と被告人との結びつきの認定上高度の証拠価値を有するものとは到底認められない。人物の識別供述の危険性については、かねてより各方面で議論されていることは周知のとおりである。そして、最高裁を含む近時の上級審判例は、識別過程に暗示や誘導が介在することがないようにするため、面割り手続を慎重にする必要があり、単独面接はできる限り避けるように指摘しているのであるが(最一判平成元・一〇・二六判時一三三一・一四五、東京高判昭和六〇・六・二六判時一一八〇・一四一、大阪高判同六〇・三・二九判タ五五六・二〇四各参照)、本件において、右のような教訓が全く生かされなかったことは、誠に遺憾であるというほかにない。

三  その余の情況証拠について

検察官は、〈1〉本件は、何者かが室内に入って放火したものであるが、みすぼらしいアパートであり、金目のものなどないことは一見しただけで明らかであるから、空き巣等による犯行の可能性は考えられず、内部の事情に詳しい者の犯行と考えられるところ、重要参考人であるCやBにはアリバイが成立するのに、被告人にはアリバイの証明がないこと、〈2〉被告人は、失職中で、Cらとはあまりうまくいっておらず、本件犯行を犯す動機があることなどからして、被告人が本件放火を行ったことは間違いないと主張している。

まず、〈1〉の点であるが、C方がみすぼらしいアパートであり、空き巣等による放火の可能性が考えにくく、内部の事情に比較的詳しい者の犯行ではないかという疑いの生ずること、また、C及びBにアリバイが成立するのに、被告人のアリバイを証明する客観的証拠が収集されていないことなどは、概ね検察官指摘のとおりである。

しかし、以上のことから、被告人以外に本件放火の犯人はあり得ないとか、被告人が犯人であることの強い推認が働くなどと考えることは、余りにも短絡的な思考であるといわなければならない。本件捜査においては、C、Bその他記録中に登場する多くのパキスタン人らに関する複雑な人間関係は、全くといってよいほど解明されていないのであって、CやBに恨みを抱く、同人らに比較的近い人物が、他に存在しなかったと断定するだけの資料は存在しない。また、Cらに対する個人的な恨みがなくとも、何らかの理由により、本件建物への放火を企てる人物が存在した可能性もないとはいえないと思われる。右可能性を示唆するものとして、本件建物にまだEが居住していた昭和六三年一月ころ、何者かの放火によるとみられるボヤが発生していることを挙げることができる。Cらは、右のボヤも被告人の仕業と考えているようであるが、右事件当時、被告人は、Eとともに本件建物に居住して病気を癒している最中であり、身の回りの世話一切をしてくれている同人に感謝する理由こそあれ、放火を行う動機は全く見当らず、右放火は被告人以外の第三者が行ったものと考えるほかない。従って、右ボヤ事件は、本件建物について、放火の機会を狙っている者が他に存在した可能性を示唆するものといわなければならない。

このように考えてくると、CとBにアリバイが成立し、被告人にこれを証明する証拠がないという理由により(なお、被告人のアリバイの関係についても、被告人が犯行を否認していた捜査の初期の段階で、右供述を手掛かりとして、積極的に裏付捜査がなされるべきであったと思われるが、かかる裏付捜査の行われた形跡は認められない。)、本件放火の犯人が被告人以外にあり得ないとする検察官の主張は、到底採用することができない。

次に、〈2〉の動機の問題であるが、検察官の主張する放火の動機は、被告人の検面中に記載されたものであって、右検面は、のちに詳細に説示するとおり、その証拠能力及び信用性に疑いがあるものであるから、右検面を援用して動機の存在をいう右検察官の主張は、まずこの点で失当である。そこで、右検面の記載を離れ、その余の証拠によって認められる事実関係を前提として考えてみると、被告人は、確かに本件火災が発生した当時失職中でC方に居候しており、CがBに家の鍵を預けながら被告人には預けないなど、十分打ち解けた態度を示してくれないことに、多少の不満を抱いていたことは、これを推認することができる。しかし、被告人は、日本においては親戚のA以外に頼るところがなく、その頼りとするA自身もD方に居候している状態であったのであるから、Aの尽力によりようやく居候させてもらっているC方に放火してしまえば、被告人がその日から住む家にも困ることになることは、自明の理というべきである。従って、被告人がCの態度に対し多少の不満を抱いたことがあるからといって、その程度のことから放火の決意をすると考えるのが合理的か否かについては、相当の疑問を容れる余地があると思われる。

四  情況証拠に関する総括

以上の検討の結果によると、被告人の自白調書を除くその余の情況証拠はいずれもその証拠価値に重大な疑問があって、これらを総合しても、到底被告人と犯人との同一性を肯定させるに至らないというべきである。

最高裁判所は、かつて、情況証拠の積み重ねにより内部犯行説から犯人を被告人と断定して有罪と認めた原判決に対し、個々の間接事実についてその反対事実の可能性を検討してこれを肯定し、結局、被告人と犯人との同一性には合理的な疑いが残るとして、原判決を破棄し、被告人に対し無罪の言渡しをしたことがある(最一判昭和四八・一二・一三判時七二五・一〇四)。右判例は、情況証拠のみによる有罪認定の危険性を余すところなく指摘した先例であって、その判旨は、本件においても十分参酌されなければならない。

第六自白の証拠能力について

一  緒説

以上のとおり、自白調書を除くその余の証拠のみによっては、本件火災の原因が放火であったことをほぼ肯認し得たに止まり、犯人と被告人との同一性を肯定するには到底足らず、むしろ、これを肯定する上で重大な障害となると思われる事実関係(玄関引き戸が施錠されていた疑い)すら存在するのであって、結局、本件公訴事実について、被告人を有罪と認め得るためには、被告人の自白調書の証拠能力が肯定され、また、その信用性が、前記客観的証拠の欠陥を補ってあまりある程十分に肯定されなければならない。

ところで、本件自白調書のうち、第一回公判期日において検察官から申請された員面(五通)、検面(四通)及び司法警察員作成の実況見分調書二通(被告人による犯行再現状況をその内容とするもので自白調書と同様の性質を有する。)については、弁護人が、当初から証拠能力に疑いがあるとして、その取調べに異議を述べていたが、当裁判所は、第一九回公判期日において、右の点に関する判断は本件の実体に関する証拠の信用性判断とも微妙に関連するので、右段階において、証拠能力に関する最終的な判断を示すことは適当でないと考えるに至り、その証拠能力に関する最終判断は、判決中で行うので、検察官、弁護人双方は、更に十分攻撃、防禦を尽されたい旨、終局裁判における再度の判断の機会を留保した上、ひとまず被告人の各供述調書につき証拠決定をしてこれを取り調べ、更に、その後、職権により証人丙谷二郎の尋問及び被告人質問を行うなどして、被告人に対する取調べ状況を明らかにするよう努めた。なお、当裁判所は、第二四回公判期日において、検察官から新たに申請された被告人の員面(9・13)、検面(9・19〔二枚綴り〕)及び弁録二通についても、第一九回公判期日で取り調べた自白調書と同様の留保を付して証拠決定の上取り調べているが、これらの書面の証拠能力も、その作成の時期等からして、第一九回公判期日において、留保付きで取り調べた自白調書と運命をともにすべきものであると考える。ちなみに、弁護人は、右各自白調書だけでなく、出入国管理及び難民認定法違反被疑事件に関する自白調書についても、その証拠能力を争っているところ、これらの自白調書についても、多かれ少なかれ現住建造物等放火被疑事件に関する自白調書と共通の問題点が含まれているので、以下、すべての自白調書の証拠能力を一括して検討することとする。

二  弁護人の主張の概略

本件自白調書の証拠能力は否定されるべきであるとする弁護人の主張の論拠は、右各自白は、〈1〉憲法及び刑事訴訟法上被疑者に保障された弁護人選任権や黙秘権等の権利を告知することなく、これらの権利を侵害することにより得られたものである、〈2〉病中の取調べにより得られたものである、〈3〉別件逮捕勾留中に得られたものである、〈4〉捜査官が自白を獲得しようとして、本件の被害者らと面会させ、圧力をかけさせ、又は、談合させるなどした結果、誘導、欺罔、誤導により得られたものである、〈5〉不適格な通訳によって得られたものである(従って、本件自白調書は、そもそも被告人の供述を録取した書面にあたらない)という五点に大別される。なお、弁護人は、自白調書の証拠能力を否定する根拠として、自白に任意性がないということのほかに、右は、違法収集証拠として証拠能力が否定されるとの主張をしているが、当裁判所としては、右〈1〉〈2〉〈4〉の点(及び〈5〉の相当部分)は、結局自白の任意性の問題に収斂すると考えるので、これらを一括して自白の任意性の項で検討し、〈3〉の点は、任意性とは別個の観点からの検討が必要であるので、別項において検討することとした。

三  本件における捜査方法の問題点の概略

本件は、被害者・被疑者がともに外国人であって、取調べに言葉の障壁があり、しかも、被疑者と犯行を結びつける決め手となる証拠の見当たらない難件であって、それだけにまた、その捜査にあたる捜査機関としては、地道な捜査活動により、できる限り多くの物的・客観的証拠を収集・保全し、確実な情況証拠を積み上げた上で、被疑者の弁解を徴するという基本に忠実な捜査に徹する必要があったと思われる。しかるに、現実の捜査活動は、このような基本を忘れ、客観的証拠の保全をなおざりにし、ただやみくもに被疑者に自白を迫りながら、得られた自白の信用性についての検討すら怠るという杜撰・粗雑なものであったというほかはない。本件捜査の過程に、客観的にみてどのような問題点があったのかは、捜査官らの証言の信用性の判断にも影響するところがあると思われるので、以下、自白の証拠能力に関する具体的な論点の検討に入る前に、本件放火の捜査方法に関するいくつかの重要な問題を指摘しておくこととする。

1 重要な事実に関する裏付捜査の欠如

起訴状記載の公訴事実及び検察官の冒頭陳述によれば、被告人は、九月七日午後二時過ぎころ、C方四畳半間において、冷蔵庫の上においてあったアフターシェイブローション入りの瓶を取り、その瓶の蓋をあけ、同間に置いてあった布製毛布カバーの上に、約五〇ミリリットルのアフターシェイブローションを撒いた上、これにマッチで点火して放火したものとされており、これによれば、検察官主張の被告人の放火方法が極めて特異なものであることは一見して明らかである。しかも、本件は、前記第三「本件の基本的証拠構造」の項記載のとおり、被告人の自白以外に、被告人と犯行との結びつきについてはもとより犯行の方法についても直接の証拠がないという事案であるから、自白を得た捜査官としては、すべからく、そのような方法で放火の実行が可能であるのか、放火が可能としても、その燃焼状況が、本件建物の出火・燃焼状況と矛盾しないかなどについて、慎重に検討し、燃焼実験を繰り返すなどの方法で、これを確認しておくのが当然であると考えられる。しかるに、本件捜査においては、アフターシェイブローションの成分にアルコールがはいっているとの電話聴取書と乾いたタオルにアフターシェイブローションを五、六滴しみこませてマッチで点火したところ燃えたという簡単な捜査報告書(「アフターシェイブローション、ヘアトニックの延焼実験について」と題する書面)しか作成されておらず、本格的な燃焼実験により、自白の内容が本件建物の出火・燃焼の状況と符号するのかどうかについては、何らの裏付捜査も行われておらず、C方の毛布の材質の確定すら行われていない。当裁判所は、やむなく検察官主張のような方法で毛布等が燃え上がる可能性があるのかどうかにつき、職権で二回にわたり燃焼実験を行ったが、捜査機関が、この種放火事件において当然行ってしかるべきであり、かつまた、通常行われている燃焼実験すら行っていなかったということは、本件捜査にあたった当局の姿勢を象徴するものというべきであろう。

また、当裁判所が、最終判断を留保の上取り調べた被告人の供述調書(9・18員面)には、被告人が、火をつけたのち、C方から同人所有のコーランを持ち出したとの記載があるが、その処分状況についての記載は全く見当らず、被告人も、その点については聞かれなかったと供述している。しかし、コーラン持ち出しの件は、放火の自白と一体のもので、もし被告人の供述に基づきコーランの所在が確認されるようなことがあれば、右は、いわゆる秘密の暴露として自白の信用性を強力に担保するものになることが明らかであるから、捜査機関が、その処分状況について被告人の供述を求めようとすらしなかったということは驚くべきことといわなければならない。

2 自白の信用性に関する検討の欠如-玄関引き戸の施錠部分破壊の理由の不解明

検察官の冒頭陳述によれば、被告人は、玄関の戸の左側の隙間から指を差し入れ、補助鍵(玄関左側の引き戸の左端についていたつり針様の金属を、柱に取りつけられたU字型の金属にひっかける仕組のもの)を外して室内に入ったとされており、これが被告人の自白に依拠する主張であることは明らかであるが、前記第四、三「C方の戸締りの状況」の項で詳細に検討したとおり、C方の玄関の二枚引き戸のうち玄関に向かって右側の戸の下部は敷居に釘で固定されている上、中央鍵穴部分にねじ込まれていた鍵により、左側の引き戸と強固に連結されていたのではないかという疑いが存在する。右の点は、先にも指摘したとおり、消防官高橋五郎作成の「出火出場時における見分調書作成について」と題する書面や警察官が自ら作成した実況見分調書の写真等により、誰もが思いつく初歩的な疑問であると思われるが、本件捜査の衝に当たった吉川警察署の警察官及び浦和地方検察庁の検察官は、左側の引き戸の左端と柱に装着されていた補助鍵に変形がなく、消防官到着時に右補助鍵が施錠されていなかったと認められるという点だけに着目し、中央鍵穴部分の施錠の有罪に関する事実関係を解明しようとした形跡は一切認められない。もし、玄関引き戸の中央鍵穴部分の施錠が事実であるとすれば、「玄関から入って放火した」という被告人の自白が根底から崩れることになるわけであるから、捜査機関が、右のような重要な点についての客観的事実関係を解明しようとしなかったのは、不可解極まることといわなければならない。

3 被告人を被害者Cらと会わせ、その影響力により合理的な自白を得ようとしたこと

本件捜査においては、のちに詳細に検討するとおり、警察官が、容易に合理的な自白をしない被告人の供述態度や、被告人との間に存する言葉の障壁などに焦慮した末、被告人を警察に突き出してきた当の本人である被害者C及びその友人のBを被告人と母国語で面談させ、その影響力により被告人から合理的な自白を得ようとしたものと認められる。しかし、家を焼かれ、全財産を失った被害者が、犯人とされる被告人に快からぬ感情を有していることは容易に理解し得るところである上、特に本件では、同人らが、被告人を犯人として警察に突き出してきたという経緯もあるのであるから、その被害感情や憎悪の大きさは推して知るべきである。従って、このような被害者らの影響力を利用して被告人から合理的な自白を得ようとした警察の態度は、いかに言葉の障壁に悩んだ上でのこととはいえ、捜査の常道からかけ離れること著しいものといわなければならない。

4 被告人の健康状態に対する配慮の不足

本件捜査においては、被告人の健康状態に対する配慮が甚だしく不十分であり、その意味でも問題があったといわなければならない。関係証拠によると、被告人は、不法残留の事実で逮捕された直後に下腹部痛を訴え、医師に睾丸炎の疑いがあると診断され、また、喉の痛みを訴え食事がとれないと訴えるなど、健康状態が優れず、取調べに立ち合った通訳人の目にも健康状態が心配される状況にあったことが認められる。しかし、被告人の取調べにあたった捜査官は、被告人が病院にかつぎこまれたとの事実を聞いておりながら、被告人に体調を確かめる等のことすらせずに取調べを行っているのであり、被告人の健康状態に対する配慮は、全体として甚だしく不十分であったといわざるを得ない。

5 重要な点に関する書類上の記載の誤りが多いこと

本件では、重要な点に関する書類上の記載につき「誤記」との主張がなされたり、明らかに誤記と認められるものが余りにも多く、果たして捜査官が真剣に捜査を遂げたのかどうかについてすら、疑いを招きかねない結果となっている。その例をいくつか挙げる。

第一に、起訴状記載の公訴事実及び冒頭陳述によれば被告人が放火に使用したアフターシェイブローションの量は約五〇ミリリットルとされており、検察官は、右事実を立証するため、司法警察員田中一郎(以下、「田中」という。)作成の「被疑者N・Fが犯行に使用したアフターシェイブローション液の使用量測定について」と題する書面を証拠として申請したが、右書面について弁護人が証拠とすることに同意しなかったため、これに代わる証人として田中を申請し、第六回公判期日において、同人から、「被告人にアフターシェイブローションを振りかけたときの状況を再現してもらい、それを灰皿で受けて、量を測定したところ、二〇ccの注射器で二回と少しあった、被告人が振りかけた回数は三回である。」との供述を得た。ところが、右証人尋問において、瓶を三回振って五〇ccの液が出たというのは多過ぎないかとの追及を受けた同人は、第七回公判期日に再度出頭し、「測定に使用した注射器は二ccのものであったのに、これを二〇ccのものと誤解していた。従って、前記書面中、測定の結果アフターシェイブローションの量が五〇ccであったというのは五ccの誤りであり、前回の証言も同様に誤りであるから訂正する。被告人が振りかけた回数は記憶がはっきりしなかったので、調書を確認したところ四、五回であった。」と前回の証言を大きく変更するに至った。振りかけたアフターシェイブローションの量が五〇ccであるのか五ccにすぎないのかは、燃焼の状況を大きく左右する可能性がある重要な点であるから、このような点の公文書の記載内容を「誤記であった」という一言で変更することができるかどうかは、それ自体一個の重大な問題であるが、更に問題であるのは、右変更後の田中証言でも、なお事実と合致しない疑いが強いということである。すなわち、田中は、前記のとおり第七回公判期日において、被告人が振りかけた回数は、四、五回であると供述を変更したので、当裁判所が田中に対し捜査段階で行ったのと同様の方法でローション液を振りかけてみるよう求め、その量を測定させた結果によれば、瓶を四回振った場合で二・八cc、五回振った場合でも三ccのローションしか測定することができず、いずれにしても五ccにははるかに及ばなかったものである。もっとも、この点につき、田中は第一四回公判期日において、被告人に対しては、回数にこだわりなく、犯行当時のように振りかけて欲しいといって再現してもらったので、振りかけた回数はもっと多いかも知れない旨供述するが、そのようなことは、当裁判所がのちに職権で取り調べた田中作成の前記書面には一切記載されておらず、いずれにしてもこの点に関する捜査が甚だ杜撰なものであったことは、到底これを否定することができない。

第二に、員面の作成日付自体にすら明白な誤りがあるということが指摘されなければならない。すなわち、当裁判所が供述の経過という立証趣旨のもとに取り調べたCの「昭和六三年九月七日付」と記載された員面には、九月八日の出来事が記載されており、明らかに不合理である。右供述調書の記載内容等からすると、その作成日は、「九月九日」ではないかと推測されるが、正確にはこれを特定することができない。

第三に、検察官から申請された司法警察員作成の被告人の健康状態に関する捜査報告書には、被告人の病状が「勾留に耐えられない」との記載があったところ、これも「勾留に耐えられる」との誤記であるとされるに至った(丙谷二郎速記録三五一丁ないし三五三丁参照)。被告人の健康状態に関し身柄保管の責任を持つ警察官が、上司への報告用として作成した公文書の結論部分が、単純な誤記によって逆に記載されるというようなことは通常考えられない異常なことといわなければならない。

以上概観した本件の捜査方法の問題点を総合すると、先にも一言したとおり、その捜査方法が余りにも杜撰・粗雑であるのに驚かされる。これらの点をみただけでも、捜査官が地道な捜査活動を忘れて、ただひたすら被告人に対し自白を求めた姿勢を窺うことができるので、このような姿勢のもとに行われた取調べによって獲得された自白調書の任意性・信用性については、とりわけ慎重な検討が必要になることは当然であるといわなければならない。

四  被告人が逮捕されるまでの経緯

本件においては、被害発生後、被害者Cらが被告人に対し放火の自白を迫り、暴行を加えて自白をさせたのち、警察に突き出すという異例の経過があり、右被害者らの行為の介在が、自白の任意性の判断に影響を及ぼすと考えられるので、まず、右経過の概略を認定しておくこととする。

(一) 認定事実

関係証拠を総合すれば、被告人が吉川警察署に逮捕されるまでの経緯は、概ね次のとおりであったと認められる。

1 九月七日午後一時三五分ころ前谷小学校の正門付近で被告人と別れたBは、前記第二、三記載の経緯で、同日午後二時半ころ、C方の火災の発生を知り、Cと連絡を取り合ったりしたあと帰宅したが、その後、夜になって訪ねてきたCからの情報などで、放火の犯人が被告人ではないかと考えるに至り、同様の考えを抱いていたCとともに小岩のD方へ向かった。ところが、同人方には、既に被告人が来ていたので、CとBは、同所において、C方への放火の件をしつこく追及したが、被告人が容易にこれを認めないので立腹して、その腹部や背部等を殴打するなどの暴行を加え、パスポートを取り上げてしまった。そして、C、B及び被告人の三名は、その晩、結局、D方に泊まった。

2 翌八日早朝、被告人は、D方をこっそり抜け出した上、来日パキスタン人に仕事の斡旋をしている実力者Gと連絡をとって、同人に事情を説明するなどし、同日午後五時過ぎころ、同人とともに、再びD方を訪ねた。

3 ところが、D方において、CとBから、「被告人がCのアパートに放火した」旨聞かされたGは、被告人が懸命に否認しているにもかかわらず、被告人の方が嘘をいっているものと考え、被告人の臀部を棒で殴打した上、その股や足首のあたりに火のついた煙草を押しつけて火傷させるなどしたため、こらえきれなくなった被告人は窓から逃走した。

4 被告人が、八月末まで働いていた三郷市内の乙川化工所に裸足で逃げ込んだところ、同社の社長は、言葉はよくわからないまでも、仲間にいじめられた旨身振り手振りで訴えながら真新しい火傷の跡を見せる被告人に同情し、履物(サンダルと靴)を与えた上、当夜の夜間勤務員の一人に加え、翌九日午前八時ころ仕事が終了したあと、従業員の宿舎に泊めてやった。

5 右宿舎でしばらく休んだ被告人は、親戚のAが自分のことを心配しているのではないかと考え、同日午後五時過ぎころ、再びD方に戻った。

6 D方には、まだCやBらがいたが、被告人は、Dに現金一八万円入りの財布を取り上げられ、他方、Cらは、その属するパキスタン人グループの中心人物であるHと電話で連絡をとった。そして、駆けつけたHから、Cの家に放火したのだろうと追及された被告人が、遂にマッチで放火したとの事実を認めた上、Hの足に自分の額を押しあてて謝罪するに至ったため、Hは、Dが被告人から取り上げていた被告人の所持金の全部をCに渡した。

7 その後、同日午後一〇時ころ、CとBは、H運転の車で被告人を吉川警察署に連れて行き、「この男が自分のアパートに放火したといっているから調べて下さい。」と片言の日本語で訴えた。そこで、当直の警察官は、最も利害関係の薄く、日本語の比較的堪能なHに通訳を頼んで事情を聴取したが、放火の事実につき被告人を逮捕するに足りるだけの供述を得るに至らなかったため、パスポートの提示により発覚した出入国管理及び難民認定法違反の事実により、ひとまず被告人を逮捕し、右逮捕及びこれに引き続く勾留期間中に放火の事実について被告人を本格的に取調べることとした。

以上のとおりであったと認められる。

(二) 補足説明

右認定の事実は、証拠上ほぼ明らかなところであるが、そのうち、九月七日夜の被告人の行動及びCらの暴行と被告人の自白との因果関係についてだけは、被告人の供述と他の関係者の各供述が対立しているので若干説明を加えておくと、まず、C及びBは、九月七日の夜、被告人を捜そうとD方に行く途中、小岩駅の端の方で、D方から歩いてくる被告人と出会い、C方放火の件を追及し、警察への同行を求めたところ、被告人が知らないと行って逃げていってしまったので、その日は、二人だけでD方に泊まったとして、同日夜の被告人に対する暴行の事実を否定している(B速記録八六丁、一一九丁ないし一二一丁、C速記録三三丁ないし三五丁)。しかし、九月七日の晩、C、BらとともにD方に泊まったとの被告人の供述は、一貫している上、親戚のA以外頼りにする者もいない被告人がAが居候しているD方以外に泊まる場所があったとは考えにくい(現に、被告人は、九月八日の晩D方を逃げ出すと、頼るべき友達がいないため、解雇された会社に助けをもとめている。)。他方、C及びBの各供述は、当裁判所が供述の経過という立証趣旨に限定して取調べた両名の捜査段階の各供述調書をも併せて検討してみると、火災後被告人と初めて会った日を九月八日であるとしたり、九日であるとするなど、その供述に変動がある上、証拠上明白な九月八日の晩の暴行の事実を隠そうとする姿勢も窺われ、その信用性に疑問がある。

次に、被告人を取り調べた鈴木二郎検察官(以下、「鈴木」又は「鈴木検事」という。)は、「被告人は、CやGから暴行を受けたと供述してはいたが、それは、被告人が九月七日の晩にC方への放火をCらに対し認めたあとのことであり、同人らに暴行を受けたから自白したのではない旨供述していた」と証言している(また、当裁判所が後記のとおりその証拠能力なしと認めた被告人の10・7検面〔二六枚綴り〕にも同旨の記載がある。)。しかし、被告人は、当公判廷において、「九月七日の晩には、放火の事実を終始否認した」旨供述しているところ、被告人に対する暴行の事実を極力隠蔽しようとしているCやBですら、前記のとおり、九月七日の晩小岩駅付近で被告人に対し放火の件を追及したところ、知らないと言って逃げてしまったと供述し、被告人が放火を自白したのは九月八日以降のことであるとしていることに照らすと、被告人が九月七日の晩に直ちに放火を自白したためCから暴行を受けた旨供述していたとの鈴木証言は、重大な疑問を免れない。

従って、九月七日の晩から翌八日早朝までの経緯及び被告人が放火の事実を認めるに至った経緯については、被告人の公判廷における供述に基づき、前記のとおり認定するほかはない。

五  取調べの経過の概要等

(一) 取調べの経過

証拠に基づき被告人に対する取調べの経過を概観してみると、被告人が九月九日に不法残留の事実で逮捕されたのちの取調べの経過の概要は、概ね次のとおりであったと認められる。すなわち、

1 九月九日、吉川警察署で当直をしていた加藤三郎警部は、放火の事実については、後刻本格的な取調べを行うことを前提として、被告人をひとまず不法残留の事実により現行犯逮捕した上、被告人を放火の犯人として警察に連れてきた者の一人であるHの通訳で、被告人から弁解を聴取した。翌一〇日、当直から事件を受け取った渡辺四郎警部補(以下、「渡辺」という。)は、同日午前中、不法残留の事実につき簡単な取調べを行った。なお、九月一〇日の段階で、警察では、被告人を警察に突き出してきたCの供述や本件火災直後に現場で被告人を見かけたという甲野の供述を得ていたところから、本件出火の原因は、被告人の放火によることはほぼ間違いないとの見通しをたてた。

2 吉川警察署から身柄の送致を受けた浦和地方検察庁の鈴木検事は、I(以下、「I」という。)の通訳により、同月一一日、被告人から弁解を聴取して弁録を作成したのち、浦和地方裁判所に対し、勾留を請求し、同地方裁判所裁判官による勾留状の発付を得た。

3 渡辺は、九月一三日にも被告人の取調べを行った結果、不法残留の事実での取調べをほぼ終了し、本件放火の関係で、被告人から事情の聴取を始めたところ、被告人は、当初自分はやっていないと否認していたが、布団の上にマッチを投げて火をつけたとの簡単な供述が得られたため、その旨の供述調書を作成した。

4 一三日限りで不法残留の事実に関する取調べを終えた吉川警察署は、当初の予定どおり残りの勾留期間を使って本件放火の取調べを行うこととし、九月一六日、まず刑事課の丙谷二郎警部補(以下、「丙谷」という。)が、本件放火の嫌疑により被告人の取調べを本格的に始めた。右取調べに対し、被告人は、当初自分はやっていない旨供述していたが、丙谷の追及により、窓からマッチを投げ入れて放火した旨供述するに至り、丙谷が、窓からマッチを投げ入れても火事にはならないとして目の前で火をつけたマッチを投げて見せたりしても、それ以上の供述をしなかったばかりか、取調べの途中で、自分はどうなるのだとか、Cらによって暴行を受けたり差別されたなどということばかりを話すため、取調べが一向に進展せず、また、一旦窓からマッチを投げて火をつけたと供述したのちにおいても、取調べの端々で、自分は放火はしていないと犯行を否認する供述をしていた。

5 九月一八日も、丙谷が、被告人の取調べを行ったが、一六日と同様話が横道にそれ、取調べが思うように進展しないことに焦慮した丙谷は、参考人として吉川警察に出頭して来ていたCやBと被告人を会わせ、同人らの影響力により合理的な自白を得たいと考え、同日夕刻、C及びBを取り調べていた吉川警察署の刑事課の大部屋に被告人を連れて行き、通訳人J(以下「J」という。)をも交えて、C及びBの両名を母国語(ウルドゥ語)で面談させた結果、被告人からアフターシェイブローションによる放火の自白を得たので、その旨の員面を作成した。

6 九月一九日、鈴木検事も、被告人を本件放火の嫌疑で取り調べた。

7 九月二〇日、被告人は、不法残留の事実で浦和地方裁判所に公訴を提起された。

8 翌二一日九時二〇分、吉川警察署の前記田中は、本件放火の嫌疑により得ていた通常逮捕状を執行し、直ちに被告人から弁解を聴取した。

9 九月二二日、本件放火の嫌疑により被告人の身柄の送致を受けた鈴木検事は、直ちに被告人から弁解を聴取して弁録を作成したのち、浦和地方裁判所に対し、勾留を請求し、同地方裁判所裁判官から勾留状の発付を得たが、勾留質問の段階では被告人は犯行を否認した。

10 九月三〇日からは、警察の取調べと平行して、鈴木検事の取調べも始まった。同検事の取調べの際にも、被告人は、時々本当は放火はしていないと犯行を否認する趣旨の供述をしていたが、「では、なぜ警察では自白したのだ」との追及を受け、その後は、ほぼ九月一八日の丙谷の取調べの際の自白と同旨の供述をするに至った。その後、右勾留の期間は一〇日間延長され、被告人は、延長後の勾留期間の満了する一〇月一一日、前記現住建造物等放火の公訴事実により公訴を提起された。

(二) 供述調書の作成経過等

なお、右取調べと供述調書等の作成の各経過及び取調官、通訳人等の氏名を一覧表にまとめた結果は、次のとおりである。

日    取調べ等の状況(最初の括弧内は取調官及び通訳人、次の括弧内は作成された供述調書の枚数)

9・9  午後一一時三〇分、不法残留の事実で現行犯逮捕、直ちに弁録作成(不明、H)

9・10 午前九時二五分から午後零時まで不法残留の関係で取調べ、員面作成(渡辺、I)(七枚綴り)

9・11 午前八時三〇分ころ浦和地検に押送、午前中に弁解聴取(鈴木、I)。その後、浦和地裁で勾留質問、午後四時四〇分帰署

9・12 取調べなし

9・13 午後一時三〇分から同五時まで不法残留と放火の関係で取調べ、それぞれの関係で員面各一通作成(渡辺、J)(前者は三枚綴り、後者は五枚綴り)

9・14 取調べなし

9・15 右同

9・16 午前九時五〇分から同一一時二〇分まで、午後零時五分から同二時まで二回にわたり放火の取調べ(丙谷、J)

9・17 取調べなし

9・18 午後四時一五分から同八時まで放火の取調べ、員面作成(丙谷、J)(七枚綴り)

9・19 午後零時二二分から同四時一三分まで不法残留と放火の関係で取調べ、それぞれの関係で検面各一通作成(鈴木、J)(前者は四枚綴り、後者は二枚綴り)

9・20 取調べなし

9・21 午前九時二〇分、現住建造物等放火により通常逮捕状執行、同一一時二〇分まで弁解聴取及び放火の取調べ、員面作成(田中、J)(七枚綴り)

9・22 午前八時二〇分浦和地検に押送、午前中に弁解聴取(鈴木、K)、その後浦和地裁で勾留質問午後六時四〇分帰署

9・23 取調べなし

9・24 右同

9・25 右同

9・26 右同

9・27 午後一時三〇分から同六時一〇分まで放火の取調べ、員面作成(田中、I)(一四枚綴り)

9・28 取調べなし

9・29 右同

9・30 午後一時四〇分から同八時一〇分まで放火の取調べ、検面作成(鈴木、K)(一三枚綴り)

10・1 午前九時三〇分から午後零時二〇分まで、現場で実況見分立会い(犯行状況、逃走経路の再現)、(田中ら、I)

10・2 取調べなし

10・3 右同

10・4 右同

10・5 右同

10・6 右同

10・7 午前八時三七分から午後七時五五分まで放火の取調べ、検面二通作成(鈴木、K)(二六枚綴り、二枚綴り)

10・8 午前一一時から午前零時五分まで、アフターシェイブローション振りかけの再現(田中、I)

(注) なお、表中の取調べ時間としているものは、被告人が取調べのため、留置場に出入した時間であるから、厳密な意味での取調べ時間は、これより短いものと考えられる。

以上のとおりであって、本件において捜査官が行った被告人の取調べは、深夜に及んだり、不当に長時間にわたったりはしていないものの、不法残留に関する取調べは右事実による勾留請求後、請求日を含む三日間で実質上すべて終了しており、残りの勾留期間は、ほぼ全面的に放火の取調べにあてられたことが明らかである。

六  取調べ方法の一般的問題点

前記第一、三「本件の特殊性」の項において簡単に指摘しておいたように、本件は、我が国の法律制度はおろか自国の制度についてすらほとんど知識がなく、ウルドゥ語という特殊な言語しか理解し得ない外国人を被疑者とする点で、顕著な特殊性を有する事案である。従って、本件の捜査にあたる捜査機関としては、右のような特殊性に鑑み、被疑者に保障された諸権利の行使に実質上の支障を生ずることのないよう、きめ細かな配慮を要求されるのは当然であると考えられるが、本件の審理を通じて把握し得た捜査の実情に照らすと、捜査当局が右のような観点に基づく配慮をした形跡は一切窺われないのみならず、取調べを含む本件捜査の方法は、右のような特殊性を度外視し、日本人の被疑者に対するものとして考えてみても、適切を欠くものであったといわざるを得ない。以下、順次、その理由を説明する。

1 被告人の法律知識等

関係各証拠、とりわけ被告人の当公判廷における供述によると、被告人の法律知識等は概ね前記第一、三に指摘したとおりであると認められる。すなわち、被告人は、パキスタン人であって、ウルドゥ語を生活言語としており、日本語や英語は全く理解しないだけでなく、幼少時から体が弱く甲状腺の手術などをしたこともあって、自国での義務教育すら満足に受けておらず、その知的レベルは低く、自国の法律制度にも通じていない。もちろん、被告人は、日本の法律制度(刑事裁判の仕組み)については全く無知であり、犯罪の嫌疑を受けて取調べを受けるにあたり、黙秘権や弁護人選任権等が被疑者に保障されていることを知る由もなく、身柄拘束を受けたのち、被疑者・被告人としてどのような手続に乗せられるのかという点についての知識も皆無であった(なお、以上は、主として被告人の当公判廷における供述に依拠する認定であるが、証拠によって認定し得る被告人の捜査段階以来の言動に、右公判供述と抵触するものは見当たらず、むしろ、右公判供述を前提として初めてこれを合理的に理解し得るものが多数あるところからみて、右公判供述は信用性が高いものと認められる。)。

2 黙秘権告知の方法の問題点

被告人は、取調べを受けるにあたって、黙秘権という権利があることは告げられておらず、言いたくないことは言わなくてよいという権利があるとは知らなかった旨供述している(被告人供述調書七九三丁)。これに対し、被告人の取調べを担当した丙谷及び鈴木は、通訳人を介して、言いたくないことは言わなくてよいという権利があると告げた旨供述し、また、取調べ済みの各員面、検面の冒頭には、「自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げ」て取り調べた旨の不動文字の記載がある。そして、捜査段階の通訳人の一人である前記Jも、黙秘権という言葉は知らないと言いながらも、「自分の意思に反して供述しないのが、黙秘権ですが、そのことを通訳して被告人に告げていますか。」との質問により、初めて「黙秘権」という言葉の意味を理解するや、「いつも通訳する前に被告人に告げています。」と供述しており、これらの点からすると、捜査官が、被告人の取調べを開始するにあたり、形式的には、黙秘権の告知を履践したと認めるべきであろう。

しかし、右告知が、被告人に対し黙秘権の意味を理解させ得るようなものであったかどうかは、自ずから別個の問題である。そもそも、捜査段階の通訳人のうち、同種の経験を何回か有するJでさえ、黙秘権という言葉を知らず、その言葉の意味を前記のように説明されて初めて理解し得た状況なのであるから、経験の全くないIが黙秘権の概念について知識があったとは考えられず、このような法律的素養が全くないか、極めて乏しい通訳人によってなされた黙秘権の告知が、被告人に理解し得るような適切な方法で行われたとは到底考えられない。このように法律的素養に乏しい民間人を通訳人として使用せざるを得ない捜査官としては、まずもって通訳人自身に対し、黙秘権とか弁護人選任権など、憲法及び刑事訴訟法で保障された被疑者の基本的な諸権利の意味を説明し、少なくとも一応の理解を得た上で通訳に当たらせるのでなければ、かかる通訳人に、右各権利の告知を適切に行わせることは到底不可能であると思われる。しかるに、本件捜査にあたった捜査官の言動からは、右のような点に関する問題意識は全く窺うことができない。もっとも、刑事訴訟法一九八条が捜査官に義務づけているのは、被疑者に対し、「あらかじめ自己の意思に反して供述をする必要がない」ことの告知だけであり、右の程度のことであれば、別段法律の素養がなくとも十分通訳可能であり、現に通訳を行っているとの反論もあり得るかも知れない。確かに、我が国の法律制度及び憲法の保障する被疑者の権利について、漠然とではあっても、ある程度の知識(常識)を有する平均的日本人の被疑者の場合であれば、右の程度の告知によっても黙秘権の存在を告知したということに一応はなるであろう(日本人の被疑者に対する通常の黙秘権告知の方法にも改善の必要があると考えられるが、ここではこれ以上立ち入らない。)。しかし、本件で問題とされているのは、先にも指摘したとおり、我が国の法律制度はおろか自国の法律制度についてすらほとんど全く知識のない、知的レベルの低い外国人被疑者に対する黙秘権告知の方法なのである。このような被疑者が、前記の程度の形式的な告知を受けただけで、これによって自己に「一切の供述を拒否する権利」があり、供述を拒否しても、そのことだけによって不利益な取扱いを受けることはないという黙秘権の実体を理解し得るとは到底考えられない。本件における捜査官の黙秘権告知の方法は、被疑者に対し黙秘権行使の機会を実質的に保障するという観点からは、著しく不十分なものであったといわなければならない。

3 弁護人選任権告知の方法の問題点

次に、被告人に対する弁護人選任権の告知の方法にも同様の問題があったといわなければならない。すなわち、関係証拠によると、被告人に対しては、少なくとも不法残留及び本件放火の各事実による逮捕に伴う弁解録取の段階で、通訳人を通じ、「自分の金を出せば弁護人が頼める」という程度の告知がなされたことは、一応これを認めることができ、形式的意味においては、弁護人選任権の告知があったと認めてよいと思われるが、そもそも被告人は、弁護人が自分にとってどのような役割を遂行してくれる者で、どのような手続によって選任することができるのかなどの点について一切知識がなかったのであるから、単に形式的に「弁護人を頼める」旨告知しただけで、弁護人選任権を実質的に保障したとは到底認められない(丙谷は、被告人に対し、「味方と言っちゃ失礼だが、そういう弁護をしてくれる制度がある」旨告げた旨証言するが〔丙谷速記録六六九丁〕、仮に右証言のとおりの説明がなされ、そのとおり通訳されたとしても、右の簡単な説明によって、被告人が弁護人の意義をおぼろげながらも理解し得たとは考えられない。)。そして、現に、被告人は、起訴後、裁判所から弁護人選任に関する照会書が届いた段階で、その意味を説明してもらい、裁判所から選任された弁護人が接見にきてくれて初めて弁護人という人がついてくれるとわかった旨供述しているが(被告人供述調書七九三丁)、右供述は、捜査段階における告知によって、被告人が、弁護人選任権について実質的には何らの知識も取得するに至らなかったことを窺わせるものである。

以上のとおり、本件において捜査官らが被告人にした弁護人選任権の告知は、著しく不十分であって、右権利の行使を実質的に保障するに足りるものではなかったと認められる。

4 刑事手続に関する流れの概略や供述調書への署名・指印の意味の各説明の欠如

我が国の刑事手続について何らの知識のない外国人被疑者に対しては、前記のような黙秘権や弁護人選任権等について、わかりやすく説明して告知する以外に、特に右被疑者に弁護人がついていない場合には、我が国の刑事手続の流れの概略(逮捕・勾留期間、公訴提起との関係、警察官・検察官・裁判官の区別等)を説明して、不必要な不安を除去すると同時に、作成された供述調書に署名・指印を求める際には、それが将来の公判において被告人に不利益な証拠として使用され得るものであることを告知する等の配慮も必要であるというべきである。なぜなら、右のような説明をすることなく、言葉の通じない多くの捜査官等の中で被疑者を孤立させたまま取調べを行うときは、右被疑者において、今後どのような手続に従って自己が処遇されるのか全く理解することができないまま、著しい不安感に襲われ、捜査官や通訳人の些細な言動に不必要に怯えたり、逆にこれに迎合しようとしたり、供述調書への署名・指印の意味も理解できないまま単に捜査官から指示されたというだけで、唯唯諾諾と署名・指印に応ずるというような事態の生ずることを回避し難いと考えられ、そのこと自体が供述調書の任意性確保の障害となり得るからである。

ところで、右のような観点から本件取調べの実態をみると、捜査官らが、被告人に対し、右に指摘したような配慮をした形跡は全く窮われない。すなわち、本件において、捜査官は、被告人に対し、取調べにあたり警察官と検察官の区別はおろか、勾留期間や勾留後に予想される手続等について一切説明しておらず、被告人は、いつまで取調べが続くのか全くわからない状態で取調べを受けているのである。右の点につき、鈴木は、「警察の調べか検察庁の調べかは場所が違いますし、検察庁で調べをするときは、捜査関係者が一緒にくるということは全くありませんので、違う機関が調べをやっているんだということは、被告人も当然承知しているんじゃないかというふうに思っていました。」(鈴木速記録六三八丁ないし六三九丁)、「(弁解録取のときも、)勾留を請求するというぐらいは言ったかも知れませんが、それ以外のことは言っていないですね。直接勾留するのは裁判所ですから、裁判官の方ですから、裁判官の方で説明するんじゃないかというふうに考えて、普段、他の事件でも、(勾留の期間等今後予想される刑事手続の流れについては)、そこまで具体的には説明しませんね。一般の場合はですね。」(同六三八丁)と供述している。捜査官の中で、法律的素養及び知的レベルが最も高いと考えられる検察官の意識にして、この程度である。丙谷ら警察官の意識の程は推して知るべしであろう。丙谷は、勾留の期間については、必ず被疑者の方から聞いてくるものだから、被告人にも説明している筈である旨の供述をしているが(丙谷速記録六八七丁)、右の供述は、一般に被疑者の方から聞いてくるから答えている筈だというに止まり、本件捜査に関する具体的記憶に基づいた供述とはいえないのみならず、丙谷の取調べに通訳人として関与したJの、「丙谷が勾留期間の説明をしなかった」とする供述(J速記録六五七丁)と明らかに抵触している。更に、供述調書への署名・指印の意味に至っては、捜査官からの説明は一切なかったものと認められ、被告人は、その意味を全く理解しないまま、捜査官の求めに応じて署名・指印したにすぎないと考えられる。被告人が、公判廷において、「調書に署名したことは覚えていますか。」との裁判長の質問に対し、「私にサインしろと言ったのでサインしました。」と供述し、中身が正しいかどうかはわからなかったと供述している点(被告人供述調書七九四丁)は、黙秘権や弁護人選任権についてすら十分に説明しておらず、これを被告人に理解させようともしていない捜査官の姿勢を考えると、到底虚偽のものとして排斥することはできない。右のような状況においては、各自白調書の末尾にある被告人の署名・指印は、各自白調書中の供述記載が被告人の任意の意思に基づくものであることを実質的に担保するものではないといわなければならない。

5 取調べ方法の一般的問題点に関する結論

以上のとおり、被告人の取調べにあたった捜査官において、日本の法律制度に無知な外国人を相手にしているとの問題意識が明らかに欠けており、知識や言語の点で著しく不利な条件を抱える外国人被疑者に対し、日本国憲法及び刑事訴訟法による被疑者の諸権利の行使を実質的に保障しようとする熱意や配慮が全く認められないということは、その結果作成された自白調書の任意性の判断上相当程度重視せざるを得ないと考えられる。

七  被告人の健康状態とこれに対する配慮の不足

被告人に対する捜査機関の取調べ方法には、被告人の当時の健康状態との関連でも重大な問題があったといわなければならない。

1 被告人の病状の経過

グリーン病院医師稲葉俊三作成の病状照会についての回答書、亀有病院作成のカルテの写し及び浦和拘置支所長作成の「病状照会について(回答)」と題する書面並びに証人丙谷及び被告人の各供述によれば、逮捕の翌日である九月一〇日の午後一時過ぎころ、被告人が、涙を流しながら下腹部痛を訴えだしたため、警察では、被告人を三郷市内の医療法人三郷会グリーン病院に救急車で搬送したところ、被告人は、前日からの下腹部痛と右睾丸部から鼠蹊部を中心とする疼痛を訴えており、診察の結果においても、同部に「著名な疼痛と圧痛」があることが認められたこと、その際には通訳人が不在で会話が通じず、被告人が痛みのために泣き叫ぶため、十分な診察ができなかったが、それでも泌尿器科の疾患の可能性が高いとの診断を受け、更に、葛飾区内の医療法人謙仁会亀有病院に転送された結果、「右睾丸に最も疼痛があり、右側腹部にもひびく、体温三七・八度、睾丸炎の疑い」との診断を受けたこと、九月一一日の夕方、被告人は、看守に対し、喉が痛いのでライスが食べられないと申し出ており、翌一二日の昼にも、喉の痛みを訴え、湿布薬をもらっていること、一三日以降、被告人は、それ以前のように急激な症状を激しく訴えることはなくなったが、その後、一一月一日浦和拘置支所に入所した時点でも、「悪寒、関節痛、時に睾丸に及ぶ内臓痛」を訴えており、その一〇日後に被告人と接見した弁護人は、被告人の病状を心配して病院移送の措置をとられたい旨の上申書を拘置支所長宛に提出しているなどの事実が明らかである。そして、取調べ当時の被告人の体調につき、通訳人の一人であるJは、「(被告人の)体の調子よくありませんでした。この体長く持ちませんと丙谷さんに言いました。被告人も、病気だと言いまして、それを丙谷さんに伝えました。」「(被告人は、)お腹の具合、おしっこをするところと、首の喉の所が悪いから、病院に行きたいと言いました。何回もどこか手術したことあると言ってました。」旨、また、通訳人の他の一人であるK(以下、「K」という。)も、「鈴木検事の取調べの際、被告人は、『私病気です。』、『つばと一緒に血が出る。』と言っており、顔色も少し病気みたいな感じで、胃の方の何かヘルニアか何かの病気と言ってたので、そのことを検察官に伝えた。」旨各供述しているが、右各供述は、前記認定の客観的証拠に基づく病状の経過と符合し、十分措信するに足りる(この点に関する鈴木証言は、K及びJの各供述等と対比し、措信し難い。)。そうすると、被告人の体調は、九月一六日以降行われた丙谷や鈴木の取調べの時点でも、素人のJやKの目からみても、一見して病気とわかる状態であって、被告人自身も通訳人を通じて、しきりに体調が悪いとか病院へ連れていって欲しいとか訴えていたことが認められる。

2 これに対する捜査官の対応

しかるに、被告人の取調べにあたった丙谷や鈴木は、取調べを行うにあたり、被告人の病状の詳細を確認しておらず(なお、丙谷は、被告人の体調について、「…日本人なら大体顔見れば分かりますけれども、ちょっと私も外国人と接していませんので詳しいことは分かんないです。」と言いながら、「(被告人の体調は)まあ、普通だと思うんですがね、かなり血圧が高いとか、そういうのであれば別ですけど、まあ見た感じではそんな重症とかそういう、私も見た感じでは大丈夫だと思ったわけです。」などと供述しており、〔丙谷速記録六八八丁ないし六八九丁〕、鈴木に至っては、被告人の体調について何らの関心を抱いた形跡がない。)、被告人の体調に対する何らの配慮もないまま、漫然と取り調べを行ったものと認めざるを得ない。

3 被告人の健康状態等に関する結論

右のとおり、当時被告人が健康を害しており、取調べに耐え得る状態でなかった疑いすら存するのに、捜査官が、右健康状態に何らの関心を抱くことなく、従って、病気の被告人に対し何らの配慮も加えることなく、漫然と取調べを継続したことは、甚だ適切を欠く措置であったといわなければならず、右の点もその結果作成された自白調書の任意性に相当重大な影響を及ぼすといわざるを得ない。

一般に、我が国の捜査官は、被疑者の健康状態に対する関心が薄く、その不良をいう被疑者の訴えを軽くみ勝ちであるが、自由を拘束されて、長期間不便な留置場生活を強いられて取調べを受けさせられる被疑者にとって、健康は唯一・最大の支えである筈であって、右のような捜査官の認識は早急に改められるべきである。

八  九月一八日の取調べの問題点

1 特異な事情の存在

これまでにも何度か指摘してきたように、本件においては、検察官が被告人の断罪の資料として最も重視する「C方四畳半間において、アフターシェイブローションを毛布カバーの上に振り掛けた上、マッチで点火して放火した。」旨の被告人の自白調書中の供述は、捜査官が、被告人を被害者らと母国語で面談させるという異例の措置をとった結果なされるに至ったものであるという特異な事情がある。

2 Cらとの面談の経緯等

すなわち、まず関係証拠を総合すると、右自白がなされるに至った経過は、次のとおりであったと認められる。吉川警察署の警察官は、九月一六日に、被告人から、「窓の外から火のついたマッチの軸を二、三本投げ込んで放火した。」旨の自白を得ていたものの、実験の結果、右のような方法では室内に届くまでにマッチの火が消えてしまい、火事にならないことが判明したため、被告人が放火の方法について真実の自白をしていないという考えのもとに、同月一八日、被告人に対し真実の自白をするように再び強く求めたが、被告人は従前の自白の線に固執し、容易に合理的と思える供述をしなかった。警察官は、被告人が母国語(ウルドゥ語)以外の言語に全く通じず、これを追及して自白させるのが容易でないと思われたことに焦慮し、母国語を理解する同国人と面談させ、その影響力のもとに合理的な自白を得ようと考え、被告人を放火の犯人として警察に突き出してきた当の本人で、しかも警察に突き出す以前に被告人に激しい暴行を加えて自白させた本人でもあるパキスタン人二名(C及びB)を、被告人が右両名を含む同国人らに煙草の火を押しつけられいじめられたなどと訴えているのを意に介することなく、通訳のパキスタン人(J)同席のもとに、取調室において二、三〇分間面談させたところ、被告人を警察に突き出したC及びBはもとより通訳人のJにおいても、もともと被告人の供述が不合理であると考えていたため、前記警察官の意図をいち早く察知して、被告人に対し、こもごも、「いつまでも嘘を言っていても事件は解決しない。」、「正直に言いなさい。」などと、申し向けて追及し、警察官が納得するような合理的な自白をするように強く説得した。アフターシェイブローションを使用して放火した旨の前記自白は、右のような追及と説得を重ねる中でなされるに至ったものであるが、右特異な方法による放火の自白が、被告人自身の口からなされるに至ったのか、他の三名の誘導によってなされたのかについては、双方の供述が対立し、これを確定することができない(なお、被告人は、右面談の際同国人から暴行を受けた旨の供述をもしているが、右供述は、その余の関係者の供述と対比し、採用することができない。)。

3 Cらとの面談の評価

以上のとおり、警察官が、不合理で不完全な自白しかしていない被告人から、より合理的な自白を得る目的で、被告人と利害の鋭く対立する同国人二名と面談させ、通訳人をも含めて母国語による会話を二、三〇分間にもわたってさせるに任せたことは、甚だしく軽率で不当なことであったというべきである。なぜなら、取調官たる警察官は、右会話の席に同席してはいても、その内容を一切理解することができず、時折通訳人のJを通じてその報告を受けるに過ぎなかったのであって、このような状態のもとにおいては、同国人から仮に不当な発言がなされたとしても、取調官はこれを理解することができず、かかる発言を制止したり、右発言の被告人の心理に及ぼす悪影響をいち早く除去したりすることができないからである。しかも、本件においては、Cらと被告人は、単に放火の被害者と被疑者という関係だけではなく、暴行を加えて犯行を自白させた者と彼らにより自白させられ警察に突き出された者という関係にもあって、両者の利害が鋭く対立していたのである(なお、被告人は、警察に突き出される前に、Cら同国人に殴打されたり、煙草の火を押しつけられたなどと丙谷らに訴え、腕まくりまでして傷跡を見せていたのであるから、被告人の取調べにあたった丙谷はそのことを当然理解していた筈である。もっとも、丙谷は、「(被告人の傷跡を)見せられたけれども、はっきりわからなかったです。そこ覚えてないですね。」〔丙谷速記録三五五丁ないし三五八丁〕などと曖昧な供述をしているが、当時被告人の腕などに生々しい火傷の痕跡があったことは、乙川化工所の乙川一郎が明確に確認しているのであるから、丙谷が、「はっきりわからなかった。」というのは、理解できない。)。従って、これらの者を母国語で直接面談させた場合に、取調べにおいて厳に戒められるような不当な発言がなされる蓋然性が著しく大きいことは、何人にも容易に理解し得るところであって、取調官が、それにもかかわらず、その面談を許した措置は、常識上到底納得し難いものであり、取調官としては、これらの者の被告人に対する影響力(それも不当な)を利用して、被告人から合理的な自白を得たいと考えていたものと考えざるを得ない。ちなみに、丙谷は、Cらを面談させた理由として、当初〈1〉被告人が会うことを希望していたこと、〈2〉取調べがなかなか進展しなかったことの二点を挙げていたが(丙谷速記録三三五丁ないし三三六丁)、のちに、裁判長の尋問に対し、〈3〉Cらに会わせて自白に導きたいという気持があったことを認めるに至った(同六八〇丁ないし六八一丁)。そして、被告人がCらに事前に激しい暴行を加えられていたため同人らを畏怖していたこと、通訳人のJも被告人がCらに会いたい旨申し入れたことを記憶していないことなどからみて、丙谷供述中の〈1〉の理由はにわかに措信し難く、その真の理由は〈2〉、〈3〉とりわけ〈3〉の点にあったと認めるほかはない。

4 被告人の自白の動機

そこで、更に、被告人が前記自白をするに至った直接の動機について検討する。被告人は、当公判廷において、「Cから、『窓の隙間からマッチを投げ入れた話は警察が信用しないから、話はチェンジしなさい。』、『灯油かアフターシェイブローションしかできないから、そういうことを言ってなさい。』、『もし、このまま言えば早く国に帰れます。』などと言われ、また、通訳人のJからも、『ここでは警察官の力が強いから、僕のいうとおりにすればお前は国に帰れます。私は弁護士です。早く言わなかったら三年半(その後の被告人の供述を総合すると、六年間の誤訳の可能性がある。)刑務所に入れますから。』、『もし言うとおりにしないと、警察官は勾留期間を何回も延ばして六年間警察に勾留される。』などとも言われたため、自分が認めれば早く国に帰れると思い自白した。」旨供述している(被告人速記録二三〇丁ないし二三二丁)。

もちろん、被告人とCやJとの間で、真実右のような会話が交わされたのかどうかについては、これを確認すべき直接の資料はない。右両名らの供述は、被告人の右供述を正面から認めるものではないし、同席していた丙谷は右会話の内容の詳細を理解することができず、また、右状況を録音テープに収めてその間に不当な言動がなかったことを明らかにしようという捜査官側の配慮も全くなされていないからである。

しかし、右の点に関する被告人の供述は、甚だ特異な内容のものであって、知的レベルの低い被告人が、これを創作して供述することができるか疑問である上に、右被告人の供述が、約二年間二〇数回の公判審理を通じ、ほぼ一貫していること、更に、検察官の取調べの際の通訳人Kも、被告人が国に帰りたがっており、認めればせいぜい強制送還されるだけだろうと皆から言われたと言っていた旨、右被告人の供述を裏付ける証言をしていること、J自身も、被告人が放火の事実を認めれば国に帰れると考えていたようであったとの事実はこれを認め(J速記録四一四丁、四二八丁ないし四二八丁)、更に、被告人が、「認めれば国に帰れるのか。」「どうすれば、何をすればおれは国に帰れるのか、どうすれば私のこの問題を解決できるのか。」などとしつこく聞いていた事実をも供述していること(同四二八丁、四一五丁)(もっとも、Jは、右のように供述する一方で、これからどうなるのかという被告人の問いに対しては、「結果はどうなるかわかりません。」と答えたとか〔同四二八丁〕、被告人に対し、放火を認めれば国に帰れるというようなことは述べていない。」〔同四三〇丁〕などとも供述しているが、その応答はいささか曖昧で、自己の責任を回避しようとする態度が窺われないではないから、右供述に高度の信用性があるとは認め難い。)などをも総合考察すると、被告人の前記供述には、これを虚構の弁解として一蹴し難いものが含まれているというべきであって、最低限度、〈1〉「放火の事実を認めれば国に帰してもらえる」という被告人の考えが、CやJらの発言に影響されて形成されたものであること、〈2〉被告人の自白が、右のようにして形成された考えを前提として、いくら否認しても一向に理解してもらえない以上、いっそ認めて早く国に帰りたいという気持に基づいてなされたとの二点は明らかであると考えられる。

5 捜査官側の対応

それでは、捜査官側は、かくして形成された被告人の誤った見解を是正すべく努力したと認められるであろうか。結論からいえば否である。右の点につき、丙谷は、Jから被告人が認めれば国に帰れると思っていると聞かされた際、「それは自分の判断ではない。」とか(J速記録六五六丁)、「私のほうで、警察が、強制送還になるとか、起訴猶予になるとか、そういうことは下せませんので、私のほうじゃはっきり言えないと、だから、私の一存じゃそういうことできないから、口で言えない。」などと話した(丙谷速記録六七六丁)ということになっている。しかし、被告人が、「放火を認めれば国に帰れる」というような誤った考えを持って自白した疑いがあるのであれば、捜査官側にとっても重大な問題であった筈である。右のような誤った考えのもとに、被告人が虚偽の自白をし、右自白に基づいて被告人を断罪すれば、結果として無辜を処罰してしまうことになるのであるから、捜査機関としては、被告人の右誤解を解くよう真剣に努力すべきであったのであって、最小限度、「放火を認めたから国に帰れるようなことは絶対にない。」という当然の事理を十分に説明した上で、それでもなお被告人が自白を維持するのかどうかを尋ねるというのが、捜査官としてとるべき態度であろう。しかし、前記J、丙谷の各証言に現れた丙谷の説明は、右各証言をそのまま措信した場合でも、前記のような捜査官としてなすべき当然の説明とかけ離れること著しいものである。丙谷が、何故に右のような曖昧な説明しかしなかったのかについては、これを推測するほかはないが、既に指摘したような本件の一連の捜査の経過を前提とすると、丙谷は、自己が容易に自白させられなかった被告人から、Cらが面談の結果、一見合理的とも思える自白を獲得してくれたことを多とし、右自白が、「認めれば国に帰してもらえる」という誤解に基づくものであることを知りながら、右誤解に乗じて、自白調書を作成していったものと疑われても、やむを得ないというべきであろう。もっとも、鈴木検事は、「被告人が認めていたのは、放火という重大な犯罪であるから、すぐに強制送還するわけにはいかない。この放火事件についても出管法違反事件と同様裁判所に起訴して、最終的判断は裁判官が決めるからというふうに説明して」誤解を解こうとした旨証言している(鈴木速記録六二五丁ないし六二六丁)。しかし、右証言は、この点に関するKの証言と正面から抵触する。Kは、他の二名の通訳人と比べると、学歴においても、語学力においても、更にはまた通訳人の職務に関する認識・識見においても格段の違いがある人物で、その供述態度も真摯であり、被告人に不利なことをも率直に供述しているので、その証言は全体として信用性が極めて高いと認められるが、同人は、「被告人は、一緒に住んでいた仲間から、早く認めたらせいぜい強制送還だけで、国に帰れると言われたと述べていたので、鈴木検事に対し、本人は認めれば国に帰れると考えているようだと伝えたが、鈴木は、そういうことはないということをはっきり説明せず、自分もそのことを被告人に伝えたことはない。そして、被告人は、ずっと同様な考えをもって取調べに応じていたとみられる」旨明言しているのである(K速記録五六八丁ないし五七〇丁)、従って、この点に関する鈴木の証言は、にわかに措信し難く、少なくとも同検事が被告人に対し、その重大な誤解を解くべく真剣な努力をした形跡は認められないのであって、同人の態度は、結局、丙谷のそれと大同小異であったと認めるほかはない。

6 九月一八日以降に作成された自白調書の任意性に関する結論

以上指摘したところを総合すると、次のようになる。すなわち、吉川警察署警察官丙谷らは、前記2記載の経緯で、被告人をC、Bらと通訳人を交えて母国語で面談させ、その結果、自ら期待したとおりCらがアフターシェイブローションを使用しての放火という新たな自白を被告人から引き出してくれたのを多とし、右自白が、放火を認めれば国に帰してもらえるという被告人の誤解に基づいてなされたものであることを知りながら、右誤解を解く真剣な努力をせず、むしろ右誤解に乗じて自白調書を作成し、後刻取調べに当たった鈴木検事も、これと同様の態度で被告人の誤解を解かないまま自白調書を作成した。

右のような本件各自白調書(九月一八日以降の分)の作成経過に照らすと、右は、その余の問題点を除外して考えても、捜査官において、虚偽自白を誘発し易い著しく不当な方法(欺罔、偽計)により獲得した自白にほかならず、その任意性は否定されるべきであると考える。

九  自白の任意性に関する結論

以上の検討の結果によれば、被告人の自白調書中少なくとも九月一八日以降のものは、捜査官による虚偽自白を誘発し易い著しく不当な方法によって獲得されたものとして、その任意性がないというべきことは、右八、6に指摘したとおりであるが、前記六記載の取調べ方法の問題点及び同七記載の被告人の健康状態とこれに対する配慮不足の点をも考慮すると、一八日以降のものに止まらず、それ以前に作成されたものについても、任意性に疑いがあるものとして、その証拠能力を否定すべきである。

一〇  別件逮捕・勾留と自白の証拠能力について

1 身柄拘束の経過

被告人が、不法残留の嫌疑で、九月九日の深夜吉川警察署に現行犯逮捕され、同月一一日引き続き同警察署付属の代用監獄に勾留され、勾留満期日である同月二〇日、右事実により浦和地方裁判所に起訴されたこと(以下、右身柄拘束を「第一次逮捕・勾留」又は、「別件勾留」という。)、更に、その翌日である二一日本件現住建造物等放火の事実により通常逮捕され、引き続き勾留された上、同年一〇月一一日起訴されたこと(以下、右身柄拘束を「第二次逮捕・勾留」又は「本件勾留」という。)は、既に認定したとおりである。

2 第一次逮捕・勾留の適否について

そこで、まず、第一次逮捕・勾留の適否について考えるに、被告人の所持していたパスポートの記載からして、被告人に関する不法残留罪の嫌疑は明白であったこと、不法残留罪は改正前の出入国管理及び難民認定法においても、その法定刑が「三年以下の懲役若しくは禁錮又は三〇万円以下の罰金」であって、必ずしも軽微な犯罪とはいえないこと、被告人が住居が不安定でしかも無職の外国人であって、身元が安定していなかったことをも考慮すれば、第一次逮捕・勾留が逮捕・勾留の理由や必要性を全く欠く、それ自体で違法・不当なものであったとまでは認められない。しかし、他方、捜査当局による被告人の第一次逮捕・勾留の主たる目的が、軽い右別件による身柄拘束を利用して、重い本件放火の事実につき被告人を取り調べる点にあったことも明らかである。すなわち、不法残留罪は、近年外国人の不法就労が社会問題となって以来、当地方裁判所管内では公判請求される例が多いが、その法定刑等からみて、いわゆる重大犯罪とはいえず、逮捕・勾留の法律上の要件があっても、必ずしも身柄の拘束をしなければならないものではない上、そもそも、これらの者について、刑事手続を発動するか行政手続(強制退去手続)のみで済ますか自体も、当局の裁量に属する事項と解されているのであって、現に本件においても、吉川警察署は、被告人を放火の犯人として突き出してきた被害者Cやその友人のBについて、両名がいずれも不法残留者であり、特にCは、自宅のアパートが燃やされてしまった関係で、住居が安定しておらず、勤め先も解雇されていることを知りながら、右両名を逮捕したり、被疑者として取り調べたりしていないのである(なお、当裁判所管内以外の地域の中に、不法残留罪については原則として刑事手続を発動せず、行政手続のみで処理しているところがあることは、当裁判所に顕著な事実である。)。右の点に加え、被告人が別件により逮捕されるに至った経緯(放火の犯人として突き出されたことを契機とすること)及びその後の取調べの状況(前記第六の五記載のとおり、不法残留罪に関する取り調べは、勾留請求後、請求日を含む当初の三日間で実質上すべて終了し、残りの勾留期間は、ほぼ全面的に放火の取調べにあてられていること)等を総合すれば、捜査当局が、本件たる放火の事実につき、未だ身柄を拘束するに足りるだけの嫌疑が十分でないと考えたため、とりあえず嫌疑の十分な軽い不法残留罪により身柄を拘束し、右身柄拘束を利用して、主として本件たる放火につき被告人を取り調べようとする意図であったと認めるほかなく、このような意図による別件逮捕・勾留の適法性には問題がある。

もっとも、検察官は、いわゆる別件逮捕・勾留として自白の証拠能力が否定されるのは、「未だ重大な甲事件について逮捕する理由と必要性が十分でないため、もっぱら甲事件について取り調べる目的で、逮捕・勾留の必要性のない乙事件で逮捕・勾留した場合」(以下、「典型的な別件逮捕・勾留の場合」という。)に限られる旨主張している。確かに、違法な別件逮捕・勾留の範囲については、右のように説く見解が多いことは事実である。しかし、右見解にいう「もっぱら甲事件について取り調べる目的」を文字どおり、「乙事件については全く取り調べる意図がなく、甲事件だけを取り調べる目的」と解するときは、違法な別件逮捕・勾留というものは、そもそも「逮捕・勾留の理由・必要性が全くない事件について身柄拘束した場合」と同義となって、わざわざ「違法な別件逮捕・勾留」という概念を認める実益が失われてしまう。なぜなら、捜査機関が、いやしくも乙事件で被疑者を逮捕・勾留した場合に、右事件について被疑者の取調べを全くしないということは事実上考えられないからである。また、逮捕・勾留の理由・必要性の概念には幅があるので、実質的にみて軽微と思われる犯罪であっても、捜査機関から、右事実につき捜査の必要性があると主張されれば、逮捕・勾留の理由・必要性が全くないと言い切るのは容易なことではないであろう。しかし、過去の経験に照らすと、いわゆる別件逮捕・勾留に関する人権侵害の多くは、もし本件に関する取調べの目的がないとすれば、身柄拘束をしてまで取り調べることが通常考えられないような軽微な別件について、主として本件の取調べの目的で被疑者の身柄を拘束し、本件についての取調べを行うことから生じていることが明らかである。そして、このような場合であっても、捜査機関が、未だ身柄拘束をするに足りるだけの嫌疑の十分でない本件について、被疑者の身柄を拘束した上で取り調べることが可能になるという点では、典型的な別件逮捕・勾留の場合と異なるところがないのであるから、このような「本件についての取調べを主たる目的として行う別件逮捕・勾留」が何らの規制に服さないと考えるのは不合理である。しかし、他方、それ自体で逮捕・勾留の理由も必要性も十分にある別件についての身柄拘束が、たまたま被疑者に他の重大な罪(本件)の嫌疑があるが故に許されなくなるというのも不当な結論であり、そのような結論を導く理論構成は適当でない。当裁判所は、以上の検討の結果、検察官主張の違法な別件逮捕・勾留の定義中、「もっぱら甲事件」とあるのは、「主として甲事件」と、また、「逮捕・勾留の理由と必要性がない乙事件」とあるのは、「甲事件が存在しなければ通常立件されることがないと思われる軽微な乙事件」とそれぞれ読み替える必要があると解する。すなわち、当裁判所は、違法な別件逮捕・勾留として許されないのは、前記のような典型的な別件逮捕・勾留の場合だけでなく、これには「未だ重大な甲事件について被疑者を逮捕・勾留する理由と必要性が十分でないのに、主として右事件について取り調べる目的で、甲事件が存在しなければ通常立件されることがないと思われる軽微な乙事件につき被疑者を逮捕・勾留する場合」も含まれると解するものである。このような場合の被疑者の逮捕・勾留は、形式的には乙事実に基づくものではあるが、実質的には甲事実に基づくものといってよいのであって、未だ逮捕・勾留の理由と必要性の認められない甲事実に対する取調べを主たる目的として、かかる乙事実の嫌疑を持ち出して被疑者を逮捕・勾留することは、令状主義を実質的に潜脱し、一種の逮捕権の濫用にあたると解される。そして、右のような見解のもとに、本件について検討すると、吉川警察署は、被告人を警察に突き出してきたCやBが不法残留者で、特にCについては、逮捕・勾留の要件が明らかに存在していると思われるにもかかわらず、両名に対する刑事手続を発動せず、不法残留の事実について何らの捜査を行っていない(もちろん、逮捕・勾留もしていない)ことからみて、被告人についても、もし放火の嫌疑の問題がなかったならば、不法残留の事実により逮捕・勾留の手続をとらなかったであろうと考えられるのに、主として、未だ嫌疑の十分でない放火の事実について取り調べる目的で、不法残留の事実により逮捕・勾留したと認められるのであるから、本件は、まさに当裁判所の定義による違法な別件逮捕・勾留に該当する場合であるといわなければならない。

従って、本件における被告人の身柄拘束には、そもそもの出発点において、令状主義を潜脱する重大な違法があるので、右身柄拘束中及びこれに引き続く本件による身柄拘束中に各作成された自白調書は、すべて証拠能力を欠くと解するのが相当である。

3 余罪取調べの限界について

前記のとおり、当裁判所は、違法な別件逮捕・勾留の範囲につき、検察官とはやや見解を異にするものであるが、仮に違法な別件逮捕・勾留に関し検察官の定義に従った場合であっても、右別件による身柄拘束を利用して行う本件についての取調べの方法に一定の限界があると解すべきことは、また、別個の問題であって、適法な別件逮捕・勾留中の本件についての取調べが無条件に許容されることにはならない。これは、逮捕・勾留について、我が刑事訴訟法が、いわゆる事件単位の原則をとることにより、被疑者の防禦権を手続的に保障しようとしていることから来る当然の帰結である。

別件で適法に勾留されている被疑者に対する余罪の取調べがいかなる限度で許されるかについては、これまでも種々の角度から論ぜられてきたが、当裁判所は、右余罪の取調べにより事件単位の原則が潜脱され、形骸化することを防止するため、これが適法とされるのは、原則として右取調べを受けるか否かについての被疑者の自由が実質的に保障されている場合に限ると解するものである(例外として、逮捕、勾留の基礎となる別件と余罪との間に密接な関係があって、余罪に関する取調べが別件に関する取調べにもなる場合は別論である。)。刑事訴訟法一九八条一項の解釈として、逮捕・勾留中の被疑者には取調べ受忍義務があり、取調べに応ずるかについての自由はないと解するのが、一般であるが(右見解自体に対する異論にも傾聴すべきものがあるが、ここでは実務を強く支配している右の見解に従って論を進める。)、法が、逮捕・勾留に関し事件単位の原則を採用した趣旨からすれば、被疑者が取調べ受忍義務を負担するのは、あくまで当該逮捕・勾留の基礎とされた事実についての場合に限られる(すなわち、同項但書に「逮捕又は勾留されている場合」とあるのを、「取調べの対象となる事実について逮捕又は勾留されている場合」の趣旨に理解する)というのが、その論理的帰結でなければならない。もしそうでなく、一旦何らかの事実により身柄を拘束された者は、他のいかなる事実についても取調べ受忍義務を負うと解するときは、捜査機関は、別件の身柄拘束を利用して、他のいかなる事実についても逮捕・勾留の基礎となる事実と同様の方法で、被疑者を取り調べ得ることとなり、令状主義なかんずく事件単位の原則は容易に潜脱され、被疑者の防禦権の保障(告知と聴聞の保障、逮捕・勾留期間の制限等)は、画餅に帰する。従って、捜査機関が、別件により身柄拘束中の被疑者に対し余罪の取調べをしようとするときは、被疑者が自ら余罪の取調べを積極的に希望している等、余罪についての取調べを拒否しないことが明白である場合(本来の余罪の取調べは、このような場合に被疑者の利益のために認められた筈のものであり、現実に行われている余罪の取調べの大部分も、かような形態のものである。)を除いては、取調べの主題である余罪の内容を明らかにした上で、その取調べに応ずる法律上の義務がなく、いつでも退去する自由がある旨を被疑者に告知しなければならないのであり、被疑者がこれに応ずる意思を表明したため取調べを開始した場合においても、被疑者が退去の希望を述べたときは、直ちに取調べを中止して帰房させなければならない。

右のような見解に対しては、刑事訴訟法二二三条二項が参考人の取調べに関し、同法一九八条一項但書を準用していることを根拠に、そもそも、法は、人が身柄を拘束されているか否かによって取調べ受忍義務の有無を決しているのであり、身柄拘束の根拠となる事実の如何によって右義務の存否が左右されるいわれはないという議論がある。確かに、参考人については取調べの対象となる事実に関し身柄を拘束されているという事態が考えられないわけであるから、法一九八条一項但書にいう「逮捕又は勾留されている場合」を、前記のとおり、「取調べの対象となる事実について逮捕又は勾留されている場合」の趣旨に理解するときは、右準用規定に関する限り「逮捕又は、勾留されている場合を除いては」という除外規定が、実質的に機能する場面は存在しないことになる。しかし、そのことを理由に、逆に、一九八条一項但書にいう「逮捕又は勾留されている場合」の意義を、文字どおり、「いやしくも何らかの事実について逮捕又は勾留されている場合」の趣旨に理解すべきであるとするのは、まさに本末を転倒した議論であるといわなければならない。法一九八条一項の解釈は、本来、同条の立法趣旨や令状主義なかんずく事件単位の原則等刑事訴訟法の底を流れる基本的考え等を合理的に勘案して決せられるべきものである。もちろん、かくして導かれた同条の解釈を同条を準用する他の規定にあてはめた場合に著しい不合理が生ずるときは、遡って前記のような同条の解釈の当否自体が問題にされることもあり得るが、参考人の取調べについて法一九八条一項但書を準用する二二三条二項の解釈としては、取調べの対象となる事実につき身柄を拘束されているということの考えられない参考人について、「逮捕又は勾留されている場合を除いては」という除外規定に該当する場合が事実上存在しない結果、参考人は、逮捕又は勾留されている場合であると否とにかかわらず、常に出頭拒否及び退去の自由を保障されていると解することによって、何らの不都合は生じないし、むしろその方が人権保障を強化した刑事訴訟法の解釈として合理的であると考えられる。従って、法二二三条二項が一九八条一項但書を準用していることは、同項但書の前記のような解釈の何らの妨げになるものではないというべきである(もっとも、立法技術の問題としては、二二三条二項において、一九八条一項但書を同条三項ないし五項と一括してそのまま準用するのではなく、参考人は、取調べにあたり常に出頭拒否及び退去の自由を有する旨明記する方が賢明であったと思われるが、いずれにしても瑣末な立法技術の問題であって、このような点を論拠として被疑者の取調べ受忍義務の範囲を論ずるのは相当でない。)。

最後に、検査官が、放火の事実は、第一次逮捕・勾留の基礎とされた不法残留の生活状況の一部として一連の密接関連事実であるから、第一次逮捕・勾留中に放火の事実について取り調べることは許されるとしている点について検討する。右見解は、いわゆる狭山事件上告審決定(最二決昭和五二・八・九刑集三一・五・八二一)に依拠するものと思われるが、そもそも右決定が、甲事実による別件逮捕・勾留中の被疑者に対し、これと社会的事実として一連の密接な関連がある乙事実につき、甲事実の取調べに付随して取り調べることを違法でないと判示した趣旨は、両事実の間に、乙事実に関する取調べがすなわち甲事実に関する取調べにもなるという密接な関連性があることに着目したためにほかならず、右決定の事案はまさに右論理の妥当する事案なのである。しかるに、本件における別件と本件との間には、そのような密接な関連性は認められない。なぜならその関連性は、本件たる放火罪は、別件たる不法残留の事実の継続中に犯されたもので、放火の動機に不法残留中の生活状況が関係し得るという程度ものに止まるのであって、逆に、放火の事実の取調べが、不法残留の事実の動機、態様等を解明するためにいささかでも役立ち得るとは到底考えられないからである(のみならず、仮に放火の事実と不法残留の事実との間になにがしかの関連性があるとしても、第一次逮捕・勾留中における放火の事実に関する取調べが、別件たる不法残留の事実の取調べに「付随して」行われたというようなものではなかったことは前記第六、五認定の取調べ経過に照らして明らかであろう。)。

ところで、本件において、被告人の取調べにあたった吉川警察署の警察官及び浦和地方検察庁の鈴木検事は、余罪取調べに関する前記のような限界を全く意に介することなく、別件逮捕・勾留中においても、本件たる放火の事実について、別件の不法残留に関する取調べの場合と同様、被告人に取調べ受忍義務があることを当然の前提として取調べを行ったことが明らかであって、当然のことながら、被告人に対し、前記のような意味において、本件たる放火の事実については取調べを受ける義務がない旨告知したことはなく、被告人自身も、かかる義務がないということを知る由もなかったと認められる(のみならず、右取調べの方法は、犯行を否認する被告人に対し、目撃者がいるといって自白を迫り、被告人が一旦マッチを投げて放火したと供述するや、その方法では火事にならないから他の方法だろうと執拗に供述を迫るなど、取調べ受忍義務がある場合として考えてみても、明らかに、妥当を欠くものであったと認められる。)。従って、本件第一次逮捕・勾留中になされた本件放火に関する取調べは、明らかに許される余罪取調べの限界を逸脱した違法なものであり、これによって作成された被告人の自白調書は、証拠能力を欠き、また、その後の第二次逮捕・勾留は、右証拠能力のない自白調書を資料として請求された逮捕状・勾留状に基づく身柄拘束であって、違法であり、従ってまた、その間に作成された自白調書も証拠能力を欠くと解すべきである。

4 別件逮捕・勾留中の自白の証拠能力に関する結論

以上のとおりであって、本件各自白調書は、そもそも違法な別件逮捕・勾留中又はこれに引き続く本件による逮捕・勾留中に作成されたものであるからすべて証拠能力を欠くと解すべきであるが、特にそのうちの放火の事実に関するものは、令状主義とりわけその内容をなす事件単位の原則を潜脱し、明らかに余罪取調べの限界を逸脱した違法な取調べによって作成されたか、右自白調書を資料として請求された逮捕状・勾留状に基づく身柄拘束期間中に作成されたものであるから、その意味においても証拠能力を認めるべきではなく、いずれにしてもこれらを有罪認定の資料とすることができない。

第七自白の信用性について

一  緒説

以上のとおり、被告人の自白には証拠能力がないと認められ、また、自白を除くその余の証拠のみによっては、被告人が、本件建物を放火した事実を肯認するに足りないことは、すでに詳細に説示したとおりであるから、本来であれば、自白の信用性について検討するまでもなく、被告人に対し、無罪の言渡しをすべきところであるが、当裁判所は、自白の証拠能力を検討する過程でその信用性についても検討する機会があり、既にその信用性には重大な疑問があるとの心証に達しているので、以下においては、念のため、右の点についても検討の結果を示しておくこととする。

二  自白の信用性の検討方法について

一般に、世間の常識からすれば、自分が犯してもいない犯罪を自白する者がいるということは理解し難いことであり、自ら犯罪を自白した者は、真実右犯罪を犯したものであろうと受け取られることが多い。しかし、被疑者に対し、黙秘権・弁護人選任権等を明確に保障し、捜査段階における適正手続を格段に充実させた現行刑事訴訟法のもとにおいても、違法・不当な捜査に基づく冤罪事件が各地で相当数発生していることは周知のとおりである。そして、経験の教えるところによれば、このような冤罪事件には、警察の不当な見込み捜査、被疑者に対する無理な取調べ、客観的証拠の収集・保全の不足、自白の過信と客観的証拠の軽視等多くの共通する特徴が見られることも、概ね弁護人が指摘するとおりである。

そして、既に、詳細に指摘してきたところからも明らかなとおり、本件についても、右に掲げる冤罪事件と共通の特徴が相当程度認められるので、自白の信用性の検討は、とりわけ慎重になされる必要があると考えられるが、最高裁判所の判例を含む近時の多くの裁判例は、〈1〉過去の事例の中に、詳細かつ具体的で一見迫真力に富むようにみえる自白が、結局は虚構のものであると判明したものが少なくないこと及び〈2〉取調べが密室内で行われ、自白調書も捜査官が自己の言葉で被疑者の供述を要約したものにすぎないことなどに鑑み、その信用性を素朴な直感や印象に頼って判断することは極めて危険であるとし、すべからく、まずもって自白内容を詳細に分析した上でその総合判断を行うことの重要性を強調している。

そこで、当裁判所も、このような近時の裁判例の一般的傾向に従い、以下、1自白獲得経過の問題点、2被告人の供述の変転状況、3自白内容の変遷、4供述内容の合理性の有無、5客観的証拠との矛盾・抵触の有無、6客観的証拠による裏付けの程度、7秘密の暴露の存否等の観点から徹底的に分析し、しかるのちにその総合判断を行うこととする。

三  自白獲得経過の問題点

まず最初に、先に自白の任意性の項で検討した結果から明らかなとおり、本件においては、被告人から自白を獲得する経過にいくつかの重大な問題があったことを指摘しておかなければならない。すなわち、本件において、捜査官は、〈1〉我が国の法律制度はおろか自国の制度についてすらほとんど知識がなく、日本語を理解せず、知的レベルの低い外国人被疑者(本件被告人)に対し、黙秘権や弁護人選任権等の被疑者の基本的な権利等を理解できるような言葉で告知せず、〈2〉その悪化した健康状態を無視して取調べを行ったものであるのみならず、〈3〉容易に自白しないその供述態度に焦慮した末、被告人に暴行を加えて自白させ警察に突き出してきた当の本人である被害者Cらの影響力のもとに被告人を自白に導こうと考えて、同人らを母国語で被告人と面談させ、その結果、同人らの言動により、放火の事実を認めれば自国に送還してもらえるものと被告人を誤信させて自白を得るに至ったものであって、本件自白が、このように虚偽自白を誘発し易い不当な取調べによって獲得されたということは、仮にそれが自白の任意性に疑いを抱かせるには足りないという見解をとった場合でも、少なくとも自白の信用性の評価にあたっては、十分考慮されなければならない。

四  被告人の供述の経過の概要--変転状況

先に摘示した被告人の捜査官に対する供述調書等の内容に、前掲丙谷、I、J、鈴木及びKの各証言並びに被告人の供述を併せると、被告人の捜査段階における供述の経過は、次のように要約することができる。すなわち、被告人は、九月一三日吉川警察署で渡辺の取調べを受けた際、当初は、犯行を否認していたものの、そのうちに布団の上に丸められていたシーツの上に火のついたマッチを投げて放火した旨供述し、九月一六日以降本格的に本件放火の取調べを受けることになったが、丙谷の取調べに対しては、窓からマッチを投げた旨供述し、丙谷が、火のついたマッチを投げるなどして、右のような方法では火災にならないとしきりに追及したが、窓からマッチを投げたと繰り返し、また、右のように供述しながらも、時々「本当は、自分は放火はしていない。」と犯行を否認する態度をもみせていた。ところが、被告人は、九月一八日の取調べで、丙谷により、CやBらと面談させられたのち、初めてアフターシェイブローションを撒いて火をつけた旨自白し、翌一九日の検察官による取調べ及び二一日の警察官による弁解録取(本件放火による通常逮捕に伴うもの)の際にも、アフターシェイブローションを撒いて放火した旨の自白を維持したが、翌二二日に行われた検察官による弁解録取の際には、シーツに直接火をつけたもので、アフターシェイブローションを撒いたりしていないと供述し、更に、その後引き続いて行われた裁判官による勾留質問の際には、放火したのはBと思う。アフターシェイブローションを撒いていない旨犯行を否認した。そして、その後の検察官の取調べにおいても、被告人は、時々本当は放火はしていないと犯行を否認する趣旨の供述を繰り返していたが、検察官から、それではなぜ警察で自白したのだとの追及を受け、結局、以後の取調べにおいては、犯行状況、犯意形成の時期等に関しては供述の変転を重ねながらも、基本的に九月一八日における自白を維持してきた。しかし、被告人は、公訴提起後は一貫して犯行を否認し、現在に至っている。以上のとおりである。すなわち、当初犯行を全面的に否認していた被告人は、その後明らかに不合理と思われる方法による放火を自白したのち、Cらとの面談を経て、アフターシェイブローションによる放火の自白をしたものの、その直後に行われた勾留質問においては、再び犯行を全面的に否認し、その後の検察官の取調べにおいても、時々否認の趣旨の供述を繰り返し、起訴後においては、一貫して犯行を否認しているもので、被告人の供述は、否認と自白の間を激しく揺れ動いていることが認められる。

このような否認と自白の激しい交錯は、〈1〉真犯人が一旦罪を認めたのちにおいても、何とかして罪を免れようとし、あるいは、できるだけ罪を軽くしたいという気持になるために生ずることももちろんあり得るが、他方、〈2〉あらぬ嫌疑をかけられた無辜の者が極力弁疎しても認められず、不当な取調べに屈して一旦自白したが、諦め切れずに何とかして真実を認めてもらおうとしている場合にも、右のような現象が生ずることのあることは、よく知られている。そして、本件においては、同一の日に行われた検察官による弁解録取の際と裁判官による勾留質問の際における被告人の各供述が正反対になったり、被告人が、警察官や検察官に一旦自白しながら、同一の日の同一取調官に対する取調べの最中に、再三犯行を否認したりするなど、右交錯の原因が、〈1〉ではなく、〈2〉ではないかと疑わせる事情が認められるのであり、右の点に加えて、通訳人のKが、「被告人は、早く取調べが終れば、国に帰れると思っており、もうどうでもいいです、まかせますから、はやく調書取ってくださいという様子であった。」旨供述している点を併せると、右疑問は、いっそう軽視し難いものになるというべきである。

五  自白内容の変遷

更に、被告人の自白には、その重要な部分について変遷があることに注目する必要がある。すなわち、

1 放火の方法について

まず、放火の方法に関する自白内容の変遷状況をみてみると、まず、9・13員面では、布団の上に丸めてあったシーツの上に、布団のそばにあったマッチで火をつけたことになっているのに対し、9・18員面では、火をつけた客体は押入れの前に丸めてあったシーツとなり、客体自体は変わらないものの、シーツが布団の上にあったか否かについては何らの記載もなく、他方、火をつける前に、冷蔵庫の上に置いてあったアフターシェイブローションを右シーツの上に撒いたという供述が加わっており、また、マッチは布団のそばにあったのではなく、冷蔵庫の上にあったものである旨供述が変更されている。その後、9・22検面において、一旦、シーツに直接マッチで火をつけたもので、アフターシェイブローションは撒いていないとされたものの、以後の供述調書は、事前にアフターシェイブローションを撒いたという点自体に関する限りほぼ統一されるに至った。しかし、火をつけた客体は、9・21員面では、丸めてたたんであった布団の上のシーツ様のもの、9・27員面では、座蒲団と一緒にあったシーツ様のもの、10・7検面に至っては、今までシーツ様のものと言ってきたのは、毛布のカバーのことをさして言ってきたものであるとの訂正がなされている。また、事前にアフターシェイブローションを撒くという特異な放火方法を選んだ理由については、9・27員面において、「火をつけてやろうと、冷蔵庫の上のマッチを取ろうとしたところ、アフターシェイブローションがあったので、アフターシェイブローションは顔につけるとツーツーと揮発性があるので、もしかするとよく燃えるだろうと思った」と初めて記載されたが、右供述は、その後の10・7検面では、「アフターシェイブローションが燃えやすいとは知らなかったが、とっさにアフターシェイブローションを撒いた方が燃えやすいと思った」旨実質的に変更されている。

本件放火の公訴事実の核心部分である放火の方法について、被告人が何故にこのようにたびたび供述を変更するのかについては、調書上は何らの記載もないが、取調べにあたった鈴木検事は、公判廷において、被告人の心理が、悪いことをしてしまったと反省する気持と罪を軽くして早く国に帰りたい気持との間で揺れ動いていたためではないかとし、前記四記載の〈1〉と同旨の見解を述べている。しかし、アフターシェイブローションを撒いてマッチで火をつけ放火したと認めた人間が、放火の客体についてだけ、ことさら供述を曖昧にしている点を、右のような理由で合理的に説明することは困難である。また、深夜見知らぬ他人の家に侵入して、暗闇のなかで放火したというような場合であれば、犯人であっても放火の客体を明確に把握していないということもあり得ようが、本件は、白昼発生した火災であり、しかも、被告人は、右火災の発生した被害者方に居住していた者で室内の様子を知悉していた筈であるから、何に火をつけたのかよく覚えていないということも考え難いところである。そして、以上指摘したような自白内容の変遷は、通訳人を介しての取調べであるため、日本語としての表現方法に若干の齟齬があったのだというようなことで説明のできる範囲を逸脱していると思われるのであって、右はまさに、弁護人の指摘するとおり、被告人が自己の関知しないことを捜査官に迎合して、又は、自己の想像により述べようとしたために生じたのではないかとの疑いを提起する事情というべきであろう。

更に、アフターシェイブローションを使用した理由やマッチの置いてあった場所に関する供述が変更された理由についても、調書上何らの記載がないため、想像するしかないが、まず、前者の点(アフターシェイブローションは揮発性のものでよく燃えることを知っていたか否かの点等)に関しては、鈴木検事が、その供述内容から推察される被告人の知的レベルからして、被告人がアフターシェイブローションの成分や揮発性、可燃性等を知っていたとは考えにくいと判断して、より漠然とした供述を誘導により引き出すとともに、特異な放火方法をとった理由を合理的に説明させるために、「髭をそっているときに放火を思い立った」との供述をあとから加えさせたのではないかという疑いを容れる余地がある。また、後者の点(マッチの置いてあった場所の点)についても、やはり供述を変更する合理的な理由が調書上一切記載されていないが、マッチが布団のそばにあったということになると、煙草等による失火の可能性が出てくるため、捜査官が誘導して供述を変更させたのではないかとの疑いが残る。いずれにしても、このような点についてたびたび繰り返される供述の変更について、合理的な説明ができないということは、被告人の自白の信用性に重大な疑いを提起する一事由といわなければならない。

2 侵入、逃走経路について

被告人の自白調書中、被害者方への侵入及び同人方からの逃走の各経路に関する供述部分は、9・18員面に初めて現れる。これによると、「勝手口には鍵がかかっているので、表の出入口にまわって、玄関のガラス戸の隙間から指を入れ、指先で補助鍵を外して室内に侵入し、逃げるときは再び玄関から逃走した」とされていたが(なお、捜査官は、被告人から右の供述を得る以前に、Cから、同人方の玄関の補助鍵が右のような方法で開放可能であるとの供述を得ている。)、その直後に作成された9・21員面では、侵入経路に関する記載はなくなり、逃走経路に関しては、前回の調書では鍵がかかっていたことになっていた勝手口から逃走したとされている。勝手口については、実況見分時に外側から南京錠がかけられていて、被告人は、右南京錠を持っていなかったことが証拠上明白であるから、何故にこのような供述がなされるに至ったか極めて疑問であるといわなければならない。

3 動機について

次に、犯行の動機に関する供述をみてみると、この点に関する被告人の供述は、不法残留であるため国に帰りたかったが簡単に帰れず、Cらに差別されたので困らせてやりたかったということでほぼ一貫しているようにもみえる。けれども、仔細に検討すると、員面の段階では、「何か事件でも起こせば国に帰れるだろうと思い、国に帰るための手段として放火した」とのニュアンスであるのに対し、検面では、「早く国に帰りたいが、そのように思っても簡単に国に帰ることができないから放火した」という趣旨に変わり、その間に供述の矛盾があると認められる上、被告人がCらに対して加えられたという不当な扱いのうち、9・13員面で特に強調されている「給料泥棒扱いされたこと」は、犯行の動機の形成と最も関係がありそうに思われるのに、その後の調書においては、右の点の記載が一切存在しない。

4 犯意形成の時期

更に、放火の犯意を形成した時期に関する被告人の供述に至っては、9・18員面では、「当日の朝から放火してやろうと決めていた」となっていたのが、9・27員面では、「Bと別れたあと、行くところもないので部屋に戻って寝ようかと思いCの家に帰ったのちに、放火を思い立った」ことになり、10・7検面においては、遂に「Cの家に戻り、五日位前から髭をそっていなかったので冷蔵庫の上に置いてあったシェイビングや髭そりを使った後、アフターシェイブローションをつけたところ放火を思い立った」ということになって、その供述の変遷ぶりは止まるところを知らない。右供述の変遷がいかなる理由によるのかについては、やはり調書上何らの記載もないが、放火当日Bと別れるまでの被告人の行動に格別異常なものがなく、右の段階で既に放火を決意していたと考えることにいささか無理があること、及び、当初の員面の内容では、被告人がアフターシェイブローションを撒くという特殊な放火方法を考えついたことの合理的な説明が不足していると思われたことなどの諸点に鑑み、捜査官が何とかしてその不合理性を糊塗しようとして、犯意形成時期を後ろへずらし、また、アフターシェイブローションの使用にもっともらしい理由をつけるために、右のような供述を誘導していったのではないかという疑いが残る。

六  供述内容の合理性の有無

被告人の自白の中に、不自然・不合理と考えられる部分が多々存することは、概ね弁護人が弁論要旨中で縷々指摘しているとおりであるので、詳述は避けることとし、以下においては、その代表的な例のいくつかを指摘するに止める。

1 まず、被告人が、何故にアフターシェイブローションを撒くという特殊な手口の放火を決意したのかについての納得すべき理由は、自白調書には遂に見出すことができない。身近かな物を利用した放火の方法は、他にいくらでも考えられ、特に9・12実況見分調書によれば、C方の玄関内には、灯油の入ったポリタンクや給油ポンプまであったことが明らかであるから、放火を決意した者とすれば、右灯油を利用するのが最も手取り早いと思われるのに、被告人が右方法によらずに、何故にアフターシェイブローションを振り撒いて放火するという特殊で迂遠な方法を思い立ったのかについての合理的な説明は不可能である。

2 10・7検面には、「五日位前から髭をそっていなかったので冷蔵庫の上においてあったシェイビングや髭そりを使い、アフターシェイブローションをつけたところ、Cの家を燃やしてやろうという気持になった」旨の記述があるが、髭をそってアフターシェイブローションをつけたところで放火したくなったとの供述は、いかにも唐突の感を免れない。

3 犯行の動機について、9・18員面にあるように、何か事件でも起こせば国に帰れるだろうと思い放火したというのであれば、警察に連行されたのちは、自ら積極的に犯行を自白してもよい筈であるが、逆に、被告人は、逮捕の前後を通じ必死に犯行を否認する挙に出ているのであるから、右員面に記載された犯行の動機は、被告人の現実の行動と合致せず、不合理である。また、9・30及び10・7各検面では、いつも一緒に行動していたAと離れ離れになってしまい連絡がとれず、寂しかったことが、犯行を決意した一つの動機とされている。しかし、九月七日の夕方、被告人がD方に行き、同人方に居候しているAと会っていることは証拠上明らかなところであって、被告人の方からAに連絡がとれない事情があったとは到底考えられず、右供述は、この点からみても合理性がない。

4 10・7検面には、「九月七日の晩にCから放火していないかと聞かれ、そのときは気が動転していたので、窓の外からマッチを投げたと認めてしまった。すると、Cから平手で顔を殴られた。」旨の記載があるが、お前が放火したのだろうと追及する被害者Cに対し、気が動転して思わず放火を認めてしまったというのは不自然であるし、仮に気が動転して思わず口から出てしまったのであれば、なぜ虚偽の供述をしたのかについても、合理的な説明ができない。

5 犯行後の行動についても、被告人の供述によると、被告人は、犯行現場のすぐそばから、甲野春子とその実母の後方を約四〇〇メートルにもわたり追従して歩いていったことになるが、このような行動が、放火という重大犯罪を犯した直後の人間の行動として、不自然・不合理であることは、多言を要せずして明らかである。

七  客観的証拠との矛盾・抵触

弁護人の指摘するとおり、被告人の自白の中には、客観的証拠と矛盾・抵触していると見られる部分も多い。例えば、自白によれば、被告人は、玄関の戸の隙間から指を入れて補助鍵を外し室内に入ったとされているが、第四、三「C方の戸締りの状況」の項で明らかにしたようにC方の玄関引き戸は、中央部分の鍵穴にねじ込まれた鍵によって、強固に施錠されていた可能性が大きいと認められるのであって、もしそうであれば、被告人の供述する方法では、C方に侵入することはできないし、Cから何らの鍵を預かっていなかった被告人としては、そもそも室内に入ることが全く不可能であったことになる。

また、被告人は、シーツ様のもの(あるいは毛布カバー)にアフターシェイブローションを四、五回振り撒き、マッチを投げて放火したとされているが、当裁判所が二度にわたって行った検証の結果及び司法警察員作成の平成2・3・29実況見分調書によると、検察官の主張するように、布製カバーつき毛布を放火の客体として想定したとしても、中の毛布がアクリル製であった場合には、被告人の供述と本件火災の出火状況との間に矛盾はないと認められるものの、純毛製の場合は、アクリル製の場合ほどの速度では燃焼しないし、レーヨン製の場合に至っては、、極めて燃焼しにくいことが認められる。本件では、被告人が放火の客体として使用したとされる毛布や毛布カバーの材質について、検察官による特定が最後までなされておらず、毛布が純毛製やレーヨン製であった可能性も否定できないのであって、もしそうであるとすると、被告人の自白するような方法で放火したとしても、C方が本件におけるような燃焼経過をたどるとは考えられないことになる。

八  客観的証拠による裏付けの欠如

被告人の供述に関しては、その重要部分について客観的証拠による裏付けが欠如している。例えば、被告人の供述中には、犯行終了後、逃走する途中で二人連れの女性に会った旨の記載が見られ、右二人連れの女性は、その特徴などから考えて甲野春子とその実母のことをいっていることはほぼ間違いないと認められるが、前記第五、二「甲野春子の目撃供述について」の項で指摘したとおり、甲野の目撃供述には、その信用性を疑わせる幾多の問題点の存することが明らかであり、同女の供述によっては、同女の目撃した外国人男性が被告人であったとするまでの心証を形成することはできない。従って、被告人の前記供述は、甲野供述により裏付けられたことにはならない(むしろ、自白に現れた被告人の行動が、右甲野が目撃したという外国人の行動と細部に至るまでほぼ完全に一致しているということこそが重大である。右は、捜査官が、甲野の供述に基づいて、被告人を強力に誘導し、これをほぼそのまま認めさせた結果ではないかという疑いに連なるからである。)。

また、自白によると、被告人は、押入れの前の布団の上に丸めてあったシーツ様のものに放火したとされているが、本件火災の直後に現場を見分して作成された9・12実況見分調書からは、押入れの前に、被告人の供述するように布団が置いてあった状況を窺うことができない。すなわち、右実況見分調書添付写真20・21によればC方四畳半間の押入れの下段には、整理箪笥と布団が、上段の向かって左側には整理箪笥がそれぞれ入れられていること、及び、上段右側の棚からは、焼燬した布団が垂れ下がっていることが判明するだけであり、右各写真には、押入れの前に積み上げられた布団は見られない上、Cの供述によっても、同人が押入れの中に仕舞いきれないほどの布団を持っていたとは考えられないから、このことからすると、C方の布団はすべて押入れの中に仕舞い込まれていたのではないかと推察される(右推察は、同実況見分調書添付の現場見取図3に、増田豊方四畳半間に布団が出されたままになっている状況が明記されているのに対し、C方にはそのような記載はないこと、現場見取図4によれば、C方四畳半間の押入れの前の畳は、全般的に焼燬しており、押入れの右端の方に約五八センチメートル四方にわたり焼燬していない部分があるが、座蒲団程度の大きさであり、畳の上に布団が置いてあった場合の焼燬状況とは明らかに異なることによっても裏付けられている。)。従って、押入れの前に出ていた布団に放火した旨の自白調書の記載は、客観的な証拠によって裏付けられておらず、むしろ、これと矛盾・抵触する疑いが強いというべきである。

更に、9・18員面には、被告人が放火した直後C方から同人のコーランを持ち出した旨の記載があるが、右コーラン持ち出しの供述については、それがもし客観的証拠によって裏付けられれば、放火に関する自白の信用性を担保することになる重要な事実関係を内容とするものであるにもかかわらず、何らの客観的な証拠により裏付けがなされていない。

九  秘密の暴露の存否

被告人が自白するに至った経過等に、多少問題があるような場合であっても、その結果得られた供述の中に、当時未だ捜査官が探知していなかった事実で、その後の捜査により客観的事実であることが判明したものがあるときには、右は、自白の信用性を強力に担保する重要な間接事実となる。これが、いわゆる秘密の暴露の問題である。しかし、本件においては、このような意味において、自白の信用性を強力に担保する秘密の暴露は認められない。もっとも、検察官は、被告人は、アフターシェイブローションを撒いた上でマッチで放火した旨極めて特殊な方法による放火を自白しているところ、自白の核心部分に捜査官には知り得なかった秘密の暴露があり、また、火をつけたところ青白い炎が上がったなどの供述もあることからすれば、その信用性は高いと主張している。しかし、そもそも、アフターシェイブローションを撒いた上マッチで放火したという供述が、被告人自身によってなされたのか、Cらが言い出して被告人がそれを認めさせられることになったのかは、いずれとも確定し得ないのである。右の点につき、丙谷は、アフターシェイブローションという供述がでてきた際、被告人が顎をなぜるなどの動作をしていたので、被告人から出た言葉に間違いないと思う旨供述しているが、右のような動作だけから、被告人が右供述を自分でしたものであると断定することが早計にすぎるものであることは、多言を要せずして明らかであろう。また、Jも、アフターシェイブローションという言葉は、たぶん被告人の口から出たもののように思うと供述しているが、前述したとおり、同人は、通訳人の職務の第三者性の理解に欠け、Cらとともに被告人に迫って自白させた当事者の一人であるから、その供述をそのまま信用するのは危険である。右のように、アフターシェイブローションによる放火という供述が、被告人自身の口から出たのか、Cらが思いついて被告人に認めさせたにすぎないのかが明らかでない以上、右ローションを振りかけて点火した場合に、それが燃えるということが確認されたからといって、これを秘密の暴露といえないことは明らかである。また、アフターシェイブローションの話が出た段階で、捜査官としては、当然直ちにその成分にアルコールが相当量含まれていることを確認した筈であり、アルコールを燃やせば青白い炎が上がることは常識であるから、アフターシェイブローションを撒いて点火した結果、「青白い炎を上げて燃えた」という供述が、秘密の暴露にあたるということもできない。

一〇  自白の信用性に関する結論

以上の分析の結果によれば、被告人の捜査段階の供述(主として自白)は、仮にその任意性を肯定するという見解に立つにしても、〈1〉その供述は、自白と否認の間を激しく揺れ動き不自然である上、自白獲得の経過において、被告人が被害者と対面させられるなど著しく不当な取調べ方法がとられており、〈2〉自白の核心的部分にも供述の変遷が認められ、右変遷については合理的な説明が不可能で、むしろ、被告人が自己の関知しない事実を捜査官の誘導に乗ったり、これに迎合して供述したからではないかという疑いを容れる余地があり、〈3〉自白中には不自然・不合理な部分も多く、〈4〉また、重要な点において客観的証拠と矛盾したり、客観的証拠による裏付けがなされておらず、〈5〉秘密の暴露も存在しないことが明らかであって、他に、これを信用し得べきものと認めさせるに足りる事情も見出し難い。従って、本件自白には、その信用性に重大な疑問があるというべく、犯行再現状況に関する実況見分調書等を含め、全体を総合考察しても、既に検討した自白以外の証拠と併せ、被告人と犯行との結びつきを肯定させるには到底至らないというべきである。

第八全体の総括

一  最初に一言したとおり、本件は、多くの放火事件と同様物証に乏しく、また、被害者、被疑者及び重要参考人の多くが、日本語を全くまたはほとんど全く理解し得ない外国人であったという点で著しい特徴を有する事案であり、それだけにまた、捜査当局が限られた時間的制約の中で的確に捜査を遂げることは容易でなかったと考えられる。当裁判所としても、種々の制約(人的、物的、時間的等)のもとで、この種難事件と日夜取り組んでいる捜査当局の苦労は、これを十分理解しているつもりであるし、また、現実に取り組んだ多くの事件につき適切な捜査を遂げている当局の努力を多としないわけではない。

二  しかしながら、右のような事情を充分考慮に容れた上で考えてみても、本件捜査は、捜査というには余りにも杜撰・粗漏で、一言でいえば「お粗末」の一語に尽きるものであったといわなければならない。本件の捜査の過程を端的に、そして、やや概括的に表現すれば、それは、自分の家を焼かれたパキスタン人が、警察や消防署の不確かな情報と自己の直感により、犯人は被告人であると確信し、仲間とともに暴行を加えて自白させた上これを警察へ突き出したところ、警察でも、たちまち右被害者らと同一の心証を抱き、物的・客観的証拠の収集・保全をなおざりにしたまま、病気の被告人に対し、ただやみくもに自白を迫り、手に余るとみるや、右被害者らの力を借りて遂に自白に追い込んだが、右自白の合理性や客観的証拠との整合性等についての検討をおろそかにしたまま、検察官による公訴提起に至ったというものであって、右は、およそ捜査のプロらしからぬ稚拙な捜査方法といわなければならない。また、元来、警察とは立場上一線を画している筈の検察官(そして、法曹の一員として、より高い識見と法律的な素養を備えている筈の検察官)も、右警察の捜査を是正するため何程の力も発揮することができなかった。

三  既に、繰り返し指摘したように、直接証拠の乏しい事件の捜査において、安易に自白に頼るのは、著しく危険である。このことは、近時の一連の上告審判例及び著名再審事件の無罪判決等を通じ、捜査の実務にも既に相当程度認識され、浸透しているべき筈であるのに、本件において、これらの先例による教訓が、全くといってよいほど生かされなかったことは、誠に遺憾というほかない。我々は、既に、被害者が独自の「捜査」によって「犯人」とおぼしき人物を追いつめ、暴行・脅迫の末自白させて警察に突き出した結果、警察・検察官も右自白を信用して公訴提起に至ったが、右自白及び他の共犯者四名の自白が全て虚構の疑いがあるとして無罪を言い渡された貴重な先例を知っている(いわゆる「貝塚ビニールハウス強姦殺人事件」の控訴審判決〔大阪高判昭和六一・一・三〇判時一一八九・一三四〕及び右事件の他の共犯者一名に対する再審無罪判決〔大阪地堺支部平成一・三・二判時一三四〇・一四六〕)。しかし、被害者又はこれと利害を共通にする者が、犯行により被害を受けたことによる感情の高ぶり等から、自己が犯人と確信する人物に対し、えてして粗暴な言動に出易いことは、右先例を援用するまでもなく明らかなところである。従って、これらの者が、不確実な情報や独自の直感により「犯人」とおぼしき人物を追いつめ、自白させたからといって、このような自白に直ちに高度の信用性があると考えるのは、それこそ危険であり、そのような場合、捜査のプロとしての捜査機関には、一歩も二歩も引き下がって、右自白の信用性につき慎重な検討を加えるという冷静な態度が求められることは、余りにも当然のことである。もし、警察官が、右のような「自白」を鵜呑みにして深く疑わず、検察官も同様であるとするならば、かかる捜査機関については、その存在意義自体を問題にされてもやむを得ないであろう。刑事訴訟法は、そのような杜撰な捜査をさせるために、最大二三日もの長期間(本件では、これが一月以上に及んだが)被害者の身柄を手中に確保することを捜査機関に認めたのではない筈である。

四  本件のような外国人がらみの犯罪は、国際化の時代を迎えた今日、ますます増加することはあっても、減少することはないと思われる。我が国の法律制度に疎く、日本語をも理解しない外国人被疑者に対し、本件におけるような取調べをしてこれを自白に追い込むようなことは人道上、国際信義上からも重大な問題であって、早急に改められなければならない。最後に、外国人被疑者に対する取調べにおいては、近時その必要性が強調されている「捜査の可視化」の要請が特に強く、最小限度、供述調書の読み聞けと署名・指印に関する応答及び取調べの冒頭における権利告知の各状況については、これを確実に録音テープに収め、後日の紛争に備えることが不可欠であることを付言する。

第九結論

以上のとおりであって、本件放火の訴因にかかる公訴事実については、被告人と犯行とを結びつける証拠に種々の疑問があり、当裁判所をして、被告人が放火の真犯人であると断ずるだけの確たる心証を形成させるに至らなかったものであって、結局、昭和六三年一〇月一一日付起訴状記載の公訴事実については、その証明がないことに帰着するから、刑事訴訟法三三六条により、被告人に対し、無罪の言渡しをすることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 木谷明 裁判官 大島哲雄 裁判官 鈴木桂子)

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